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[コメント] カンダハール(2001/イラン=仏)

太陽がブルカを被る日
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ラストシーンは彼女(主人公)がブルカの中から眺めた世界を描いて終わる。彼女がしきりに言う「アフガンの女たちを囲ういくつもの檻」とは、ブルカが象徴するものと同じだと思う。

なにも遮るもののない荒々たる沙漠の世界では、彼女も言っていたように、太陽が最大の障害物である。もともとブルカは、この過酷な環境と、自分との間を遮り、自分を守るためのものとして、存在したのであろう。

だがブルカは、この映画でも描かれていたように、なにかを隠す為のものとして機能する。その「何か」とは、本当の自分、であったり、人に知られたくない諸事情、であったりする。幾重ものブルカで身を覆ううちに、隠すことが本性となったアフガンの女たちを、”ブルカを脱いだ女”の手で描いてみせることに、この映画の意義があったはずである。それは、実際にアフガンに潜入せずとも描けるはずだ、と考えたのであろう。

しかし、この映画は結局のところ、ブルカの中には入り込めなかった。ブルカを被ったアフガンを、外側から描いただけの映画に終わってしまった。それは多分、実際にアフガンに潜入したところで、身分を偽って入り込まざるを得なかっただろうから、同じ結果であったろう。ではどうすればよかったか、というのは私には分からない。ただ、ラストシーンは彼女の感じた無力感を表現しているように思った次第だ。

・・・と、適当なことをつらつら書いたが、本当はまったく意味が分からなかった。いつかこういう映画の面白さを理解できる日が来るのだろうか。

65/100(03/02/11記)

追記:すみません、皆さんのコメント(特に4点以上つけている方の)読みましたが、単に「つまらないから面白い」と言ってるようにしか読めませんでした。ありがたがっているだけ・・・。

追記2:(あまりこういうことを書く必要はないのだが)学生さんは自分の足で立って生活していないから、彼の地の生活と比べて、われわれの暮らす日常を簡単に”贅沢だ”と言ってしまうけど、この平和大国ニッポンだって毎日を生きていくにはかなり精一杯の努力が必要だし、それでも来年、再来年のことは見通せないのが(特にここ数年の)現実です(私はサラリーマンをしているのでまだ呑気に映画を観ていられますが)。確かに「道端に落ちている人形を拾うな」と学校で教える世界と、われわれの住む世界は懸け離れていますが、そんな状況の中で、したたかに、ときに利己的に、ときに協力して生きていくのは、人間本来の姿であって、なにも特別なものではない。この映画は、戦時や災害時の極限状況(これはまた別世界です)を描いたものではなく、日常を描いたものである。私はそう思う。日常を精一杯生きる人間たちの間に、上下の別はなく、まして必要以上に尊敬されたり、同情を寄せられたりするいわれはない。少なくとも私はこの映画に、そうした安易な尊敬や同情を拒絶する毅然とした姿勢は感じたけどな。(私は本来、映画ぐらいなにも考えずに見させてくれと思うほうだ)

(評価:★2)

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