[コメント] カンダハール(2001/イラン=仏)
不自由が常態化した社会の中の日常として、繰り返し描かれる過剰さ。その過剰は、我々にとって、ときに滑稽にうつるかもしれない。しかし、その感情の露呈が何に起因しているかに思が至ったとき、そこに込められた個々の意志の持つ悲しみの深さに慄然とする。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
金儲けのために、義足を手に入れようと見え透いた嘘を並べ続ける男。一方、妻の衣服をわざわざ持参し、ようやく仕上がった義足にあてがいその不細工さをなじる男。謡えないことが分かっていながら、少年に執拗にコーランを唱えさせようとする神学教師。その少年は、遺骸から抜き取った指輪を、異国から来た同属の女にあなたの瞳と同じ色だからどうしても受け取って欲しいと懇願する。通訳を介しカーテン越しにしか診療しない医者と、それを当然のこととして受け入れる女。そして、天から舞い降りてくる義足めがけて、ぴょんぴょんと不自由な足で砂漠を一目散に駆ける不具者の一群。
この禍々しいまでの過剰さの一つ一つが、ある巨大なカセの中で自由を奪われ、方向を見失いながら、懸命にもがく人々の、一人一人の声にならない叫びのように見えた。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。