[コメント] アトランティスのこころ(2001/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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幼少時代や思春期の記憶の中にはとんでもない能力をもった人物が登場する。あるいはその能力の持ち主は自分だったりすることもある。例えば僕の母親はスプーンを念力で曲げられたし、父親はどんな機械をも修理できた。ある女の子は踵(かかと)で匂いを感じとることができたし、僕自身も人の死期を言い当てたり、火事や地震を予知したりした。それらは決して特別なことではなかった。大人となった今ではそんなやたらとは身近に超能力者は存在しない。超能力者は、少年時代の記憶の中に特化し存在を許されるものなのかもしれない。
この映画は、思春期の少年と「人の心を読み取る能力」をもった老人との交流を描いた物語だ。また主人公はその自分の少年時代を懐古するするスタイルで物語られる。しかし、老人がもっている能力、それは実は超能力でもなんでもない。それは「人を思いやる心」にすぎなかったのではないか、というのが僕の解釈ということになる。感受性豊かなその少年は「人を思いやる心」をその老人から学び、大人への第一歩を踏み出したのだ。他人のことを思いやったり、大切に思ったり、守りたいと思う感情、そういう「こころ」を抱き続けているその老人の発想や言動が、少年にとっては超能力に匹敵する印象で、過去の記憶としてその老人を超能力者たらしめているのではないか。つまり、僕の場合「母親は偉大である」が、「母親はスプーンを曲げた」、というあやしげな記憶で象徴されているのと同じなのだ。
原作は未読なのだが(一説によるとFBIによる超能力者利用捜査の話なんでしょう?)、映画自体は思春期の少年の、他人や異性、社会に対する感情の芽生えをテーマに、心地よいファンタジーとノスタルジーをかもしだした秀作に出来上がってると思う。
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