[コメント] めぐりあう時間たち(2002/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
エド・ハリスを含めて 四人とも、 無限に続くかの様な時間の中でその奴隷の様な鬱屈感を感じながら生きていく。
エド・ハリスはその病気の中で、そのせいで人を縛り生きていくのが辛く、どうにもならない。
メリル・ストリープは、彼に精神的に縛られながらも、そこから自分の意志で逃げられない、逃げ出せば自分の人生の意義を失ってしまう事に怯える様にして。
ジュリアン・ムーアは愛されている事に対して、 それと等価の価値を持って相手に愛を感じる事が出来ない自分に対する自己嫌悪と、それを将来までに継続してしまう事の恐怖観念に対して。
情緒不安定なニコール・キッドマンは もはや生きる事に膿んでいる、 もう幸福である事どころか、何かを望むと言う事すら忘却の彼方だ。 何を言われてもそれは彼女にとっては只の雑音でしか無くなってしまっている。
しかし、誰もがこの自分は奴隷であるという様な鬱屈感を払拭しようとする。
エド・ハリスはビルから飛び降り全てから解放され、 又は全てを解放する。
メリル・ストリープはその結果解放される。
ジュリアン・ムーアは自分が今まで築き上げて来た事を全て捨てる事で、 孤独を手に入れ、安息を手に入れる。
そして、ニコール・キッドマンは、 自分の時間の流れを川の流れの中に溶かす様にして、 何の音の響きも聴こえない無音の世界へと流れ込む。
四者四様、 しかし皆向かうのは自己の否定と自己の確立と言う一見相反する 矛盾した感情の流れの中だと思う。 (全てを解体し、再構築すると言うピカソの絵画の精神的な部分に触れた様だ)
しかし正直、ニコール・キッドマンの心情だけは、 具体的にこのレビューの文章として表現する事が出来づらく、 曖昧にしか感じ取る事が出来ない。 (もちろん映画のせいでは無い。と言うか知り難く、少し私自身受け入れる事を拒否気味だった。)
それは私にとっては、ある意味少し幸福な事であるとも少し思う。
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