[コメント] その場所に女ありて(1962/日)
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女たちの労苦は平凡に終わった。だである調の対話が冒頭面白いのだがさほど盛り上がらない。入院した昔の男に貢いで自殺してしまう水野久美など伝聞だけで展開するだけで詰まらないし、会社内で高利貸している原千佐子もよく判らない。オールドミスで開き直る大塚道子もよく判らない。ただ、女同士時間外のオフィスで弱っているの図はリアルでいい。
小皺が出てきた、こうなると女は弱い、とか、化粧だけが頼りよと年下の男にぞっこんの森光子とか、司葉子ももう27歳だもんねとか、こういう女のリアリズムはありふれているだろう。雀荘で稼ぐ司はオヤジギャルの先駆で魅力的だが、本作の趣旨からすれば職業病なのだろう。製薬会社から次回の広告の予算額を聞き出そうと色仕掛けまでしているが、そんなもん何で隠すのか。法的に公正なのだろうか。
ライバル宝田明の「生産を持たないスポンサー主体の会社は駆け引きだけの人格になる」という自己批評が渋い。「行き遅れ」司葉子は宝田の前で、酔った振り(だろう)して路駐のパーキングメーター(もうあったのだ)の柱に寄りかかりホテル。駆け引きだけの人生である。翌朝、司が大八車に曳かれた花屋から花買う断片が印象的。あんなにして花を売っていたのだ。
司は会社を裏切る山崎努に平手打ちをし、宝田に買収された浜村純の謝罪を自分の処で留め置き(彼の作る二種類の精力剤の広告が素晴らしい。商品名エネルゲン)、そのために社長の西村晃に疑われて(この経過はもうひとつ判り難いが)抗弁する司。生きていくために仕事が必要だから会社に尽くしてきた。辞めろと云われても辞めない。このひとりで堂々と戦う凛とした姿がとても印象的。中小企業だから組合がないのだろうか。この業種に組合はなかったのだろうか。宝田の誘いを断る(浜村の件で裏切られたのだ)ドアップ一発の捨て台詞もいい。「さよならって云ったのよ」。鈴木英夫はキメのアップの使用法が上手い。
博報堂対大会社電通の物語の由。毎朝新聞にコネクションのある二社という科白の通り、広告と云えば新聞広告の時代だった。コピーライターという業種はなかったらしく、コピーはみんなで考えているが、司は「コピー屋上がりだから」アイディア出せと云われて出して、山崎努に剽窃されている。退社する原知佐子はラストで司を誘ってハバハバと云う。進駐軍が流行らせた言葉らしい。
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