[コメント] 鶴八鶴次郎(1938/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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本作の美点は新内の謡をたっぷり見せること。瞽女歌と並ぶ日本のトークング・ブルースだとよく判るし、三味線の合いの手がやたら格好いい。人形劇などの長回しも面白い。それと長谷川一夫の純朴さがよく見える演出もいい。山田五十鈴と喧嘩していても、褒める処は明快に褒める。二度目の喧嘩の前段がそうだ。
しかし物語に説得力があるとは思われない。ラスト、再コンビ解消を宣する長谷川の論点は、俺はドサ廻りで芸人の零落を見てきた、いい処に嫁いだ愛する五十鈴にそんな目に合わせるのは忍びない、というものだった。これがどうにも納得できない。芸の道のパッションのためには、貧乏などどうでもいいではないか。喰えなくて止める程度の芸ならやめてしまえ、という感想しか湧かない。ドサ廻りで零落した芸人の描写など何もなく、あったのは長谷川自身の零落だけなのもこの感想に輪をかける。再び血が騒いだ五十鈴の心情など一顧だにしていない。我が儘坊ちゃんは我が儘坊ちゃんのまま映画は終わる。
五十鈴の造形にも魅力がない。長谷川に旦那の大川平八郎は嫌いだ(何で嫌いなのか全然判らないが)から会うなと云われても密会して資金まで借り、バレると開き直る。彼女の欠陥に映画はドラマを仕掛けないし、最後の長谷川の心遣いにも感付かない。いつもの主演女優に注ぐナルセの繊細さはどこへ行ったのか。こういう結局単純だよねという女性観は古臭く悪い意味で昼メロ系、原作者の人となりの限界だと思う。
外の光景がナルセにしては少ないのもポイント低い。ドサ廻りの道中、自分のポスターが子供らに船にして流される処は印象的だがそのくらい。比較的どうでもいいことだが、ナルセ自身も本作の自己評価は低い。サイトの名物映画の平均点を下げるのは忍びないがお許しあれ。
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