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[コメント] 羅生門(1950/日)

京マチ子の妖艶。および芥川“問題”への黒澤的“解答”。あとは観る者がどう解釈するか、だね。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 芥川の原作は、三者三様の証言を紹介するだけに終ります。ともすれば、世の中はすべて真相など薮の中、この世で本当に起こったことは誰にも分からないという印象を、読んだ者に与えます。

 本作がこしらえた第4の“証言者”木こりは、当事者3人がどこまで真実を述べ、どこで嘘をついたかを暴いてしまいます。しかもそれだけでなく、なぜ嘘をついたのか、3人それぞれの理由までもを明らかにする。こういう“真相”を藪の中から掘り出した、原作に対する脚本家たちの読み込みの深さと構想力の確かさにまず感服します。

 もう一つ、本作が優れていると思うのは、追剥ぎ・上田吉二郎を存在させたことです。彼は、赤子が身にまとっていた奢侈な衣装とお守りを剥ぎ取りますが、肌着だけは盗まずに残しました。どのみち赤子が死ぬのであれば不要になる、すべての衣服を奪い取ってもよかったはずなのに。

  本作の言っていることはこうです。「人間は皆、自分に都合のいい嘘をつく」。

 坊主が最後に語った「これでまた私は、人間を信じることができそうだ」といった台詞は、説教くさい教条主義でも蛇足でもとってつけたような結末でもありません。「これでまた私は、自分に都合の良い嘘をつき続けることができる」という、映画作家たちのこれ以上ない真情の吐露です。

 だってそうじゃないですか。

 真剣の斬り合いとは、互いに腰が引けたり抜けたりして、地べたを這いつくばるような無様なものであることを、本作は暴いてみせました。本当の命の遣り取りは、映画のワンシーンのような華麗で流暢な殺陣などではあり得ないと暴いたわけです。映画の手法を用いながら、映画のつく嘘をも暴いたのが本作です。

 にもかかわらず、黒澤監督は、この後もそれはカッコいいチャンバラ・シーンや剣劇映画をいくらでも撮っている。

 この肌着、赤子の命運を繋ぎとめたこの肌着を、俗にヒューマニズムと呼びます。映画が、自分に都合の良い嘘をつき続けるために必要とした最後の一枚の虚構が、ヒューマニズムなのです。なんと呼んでもいいですが。

85/100(17/06/27コメント追記)

(評価:★5)

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