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[コメント] セブン・イヤーズ・イン・チベット(1997/米)

政治的な映画だからこそ、面白くあってほしかった。一外国人がダライ・ラマに政治的助言できるか。
G31

・・・というコメントだけを長らく掲載していたのだが、最近、映画を観た当時書いた覚書を発見。自分で読んで面白い(阿呆)ので採録しておく。

   ◇

 あまり面白くないだろうと思って観れば少しは面白いかと思ったが、やっぱり面白くなかった。ある意味期待どおり。

 心の変化を画く映画である。映画としては難しいテーマだからつまらなかったのかな、とも思ったが、そうでもないか。『テルマ&ルイーズ』のような例もある。

 主人公は野心家でエゴの強い登山家、ハインリッヒ・ハラー(ブラッド・ピット)。ヒマラヤの処女峰(?)に初登頂する為に、身重の妻を故郷に残していくほどエゴ。しかも思想的には同調していないナチス党(と画かれるのは言い訳にも思えてしまうのだが)に入党してまでも登頂のチャンスを掴もうとする。登山中に足を骨折(?)しても我慢、あわや仲間の命を落としそうになる。悪天候の為、リーダーが登山中止を決定しても、あくまで決行を主張。この男の頭の中、名誉、栄光のことばかり。でも、このこと自体は悪くないし、悪くはないように画かれる(ま、フェアだね)。

 戦争が始まり、インドで英軍の捕虜に(仲間ごと)。脱走(仲間と)。中国へ逃げる(中国は、ドイツの同盟国である日本の勢力下にあると考えられた)ため、途中、チベットへ潜入。ここから再び故国へ戻るまで7年チベットに滞在する訳。

 ひょんなことから(重要ではない――映画ストーリー上からも)ダライ・ラマと個人的親交を結ぶようになり、ラマから、また他のチベット人から、エゴを控えることを学んでいく。と言っても、観た限りでは、ハラーが何を学んだのかよくわかりません。最初、ハラーに「西洋の人はエゴを強くしようとするが、チベットの人はエゴを無くすことを目標としている」とかなんとか説く人がいた(この人は初め、ハラーたちになにかと便宜を計ってくれた人なのだ)が、この人自身は後にエゴからとしか思えないような行動(これがきっかけで中共政府の支配を許すことになる、と画かれていたが、ホントかな)をとって、逆にハラーに殴り倒される(アメリカ映画はわかりやすいぜ!)シーンがあったりして、なんだかわからない。

 いずれにせよ、チベットに入ってからのハラーはすっかり控え目な人になってしまって、ほとんど脇役に近い。一外国人”お客様”が政治の舞台で重要な役割を負うわけがないので当たり前だが。しかも彼は単なる登山家だし。このあたり、ハラーを無理に重要に仕立てているように見える(ま、彼の本が原作だし)が、どこまで真実か、て感じだ。

 てなわけで、なんでハラーが控え目な人になってしまったのかちっともわからない。ダライ・ラマとの交流を通じて、ということらしいが、ダライ・ラマは他人に影響を与えずにおかない人格者のように見えない。望遠鏡らしきもので下界の庶民の生活をのぞいたり、ヨーロッパの風俗に強烈な関心を示したりと、単にムチャクチャ好奇心の強い少年、て感じだ。ダライが如何に人格的にすぐれているかを示すエピソードがなければいけないのに、なく(そういうエピソードを映像で画くのは難しいだろうが――でも、やるのが映画だ――というより名作と駄作の分かれ目、かな)、ラマ役の少年のチャーミングな笑顔で代弁させてしまっている。

 確かにこの少年の笑顔は類稀に魅力的だと感ずるが、監督自身がこの少年に会わなかったらこの映画は成立しなかったろうと語っているとおり、ちょっと笑顔でごまかしちゃってる感じだ。そこまでの神性はとても感じられないなァ、実物のラマがどうかは知らんが。笑顔に頼りすぎでエピソードで画くことを放棄してるように感じた。

 せっかく前半部、エゴの固まりであるハラーという人物をうまく画き出しているのだから、後半はダライの立派な人物ぶりをこれでもかってくらい描いて、最後、ハラーが自分のエゴが強すぎたことに気付いてハッピーエンド、てのが本来要請される筋じゃないか。もっともハラーはチベット入りする前から自分のエゴの深さを反省しはじめたように描かれている。だったらチベットは関係ねェじゃねーか。(ここらへんも何故いまチベットなの?という根本的な疑問を抱かせる要因だろう)

 で、途中からチベット現代政治史みたいな話にすり替わってしまう。実はこちらが描きたかったのなら、やはり主人公はラマにすべきだったろう。『ラスト・エンペラー』(の英国人教師)みたいにハラーは単なる狂言回しとして描いてさ。チベット潜入のとこから始めりゃ、ちょうどタイトルにもぴったりだ。(この映画に忠実なタイトルをつけるなら、『セブンイヤーズインチベット・アンド・テンイヤーズインアザーカントリーズ』って感じだもの)

 もちろんこの映画は、ユダヤ資本の出資した中共政府批判の為のプロパガンダ映画(いま何故?という疑問に答えるのはこの視点しかあるまい)という捉え方もできるだろうけど、心理の変化を描いた映画として(あるいはチベット現代政治史映画として)失敗作であるが故に、中共政府批判映画としても失敗しているのである。

   ◇

(04/04/17投稿)

(評価:★3)

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