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[コメント] ブレイブ ワン(2007/米=豪)

誠実さと娯楽性の狭間で、この作品は十分娯楽として成立している。だがそこに足をすくわれてもいる。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ニューヨークという街に、見ず知らずの他人に暴力をふるうことを愉しみとするような輩が平然と暮らしている、ということについての実感がない。それ以上にわからないのは、人に危害を加えるという行為が、実際にこのような過程で行なわれ得るのか、ということについてだ。また、私は親しい身内をこのような形で失った経験はないから、復讐心というものが、かような経緯で生じうるものなのかについても、本当のところはわからない。だが、十分ありそうなことだとは思えた。この映画で描かれるのは下記のとおり。

 惨劇の記憶を克服するには、<力>を手にする必要があり、その為には、ただ銃を入手する、だけでよかったのかもしれないのだが、(同様な惨劇が連日のように繰り広げられる街、ニューヨークでは)ひょんなことから、その<力>を行使する機会を得てしまう。そして、この体験が意外にもこの上ない<力>を体感させた。このことから、彼女にとっては「正義の執行」が、後には復讐が、日々を生き抜くための力となっていくのである。

 古今東西の復讐譚で、ここまで誠実な復讐譚はなかったのではないか。復讐へ至る心的過程をここまで掘り下げて克明に描いた映画は。私が一つこの映画に時代的な意義を感じるのはここだ。このなんでも論理的に掘り下げなければ気がすまない時代の。私は日本の任侠映画なんかもよく見るが、これは復讐劇というよりは「正義の執行」の方だが、悪党どもの酷い仕打ちに耐えて耐えて耐え続け、これ以上我慢できなくなって爆発するという、極めて図式的なものである。正直言って、私は図式的な物の方が好きかも、と思った。

 とはいえ、映画はここで終わるからいいものの、現実的に考えれば、エリカ(ジョディ・フォスター)はもはや大量殺人鬼と化しており、ラジオのパーソナリティとして普通の生活を送ることはできないだろうし、刑事(テレンス・ハワード)だって、重篤な犯罪を奨励し、かつ見逃しているのだから、今後まっとうな刑事として仕事を続けることはできないだろう。つまり(当たり前すぎるくらい当たり前のことではあるが)所詮これは映画であり、娯楽であり、エンターテイメントなのだ。

 その意味で一点申し上げると、最後、刑事がエリカに向って「君にはその(=処刑を執行するという)権利はない。それは合法的に所持された銃によってなされねばならない」とか言って、自分の拳銃を持ち返させて処刑執行をさせていたが、これが展開に意外性というアクセントをつけたことはわかるが、まったく無意味で無内容な御託だと思う。この世にそんな理屈はない。一応、犯罪を偽装するためという後付けのような理屈を並べていたが、その程度のことで犯罪が隠蔽できるなら、そんな回りくどいことせずとも、普通に撃たせて十分隠蔽できる。この御託には作家の苦し紛れしか感じられなかった。

80/100(07/12/29見)

(評価:★4)

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