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[コメント] この世界の片隅に(2016/日)

「号泣間違い無し」との噂だったので、作中感動したシーンもあったのですが、「あれだけ泣けると言われた映画なのだから、もっとすごいシーンがあるはず・・・」と思い、涙をスルーしていたら、エンドロールが流れた・・・普通に泣けばよかった(笑)
考古黒Gr

 この映画を観ていて、理解に苦しんだシーンがあった。

 それは、玉音放送を聴き終わり、主人公の「すずさん」が終戦に対して激怒した場面です。すずさんは、何故戦争が終ったことを喜ばなかったのか、喜ばないにしても、これで空襲が無くなり不安を抱えて生活をする必要が無いのだから安堵するのが普通の反応だと思いました。

 観終わった後で冷静に、「もし自分が彼女と同じ立場だったら」という観点で少し考えてみました。

 その結果、彼女は、終戦によって「死に遅れた・・・」と感じたのかな?と思いました。

 同じ運命の舞台に立ちながら、自分より先に亡くなった大切な人達に対する、生き残った者の後ろめたさは、

「何れ同じ様に自分も死ぬ運命なのだから、少し順番が遅くなっただけなのだから・・・待っててね。」

という、「私も何れ同じ運命を迎える」という気持ちに支えられるものなのかもしれなかったのではないかと感じました。つまり、死んで逝った人も、生き残った自分も、結局、「戦争」という同じ運命に乗っているのだから、「貴方達だけ死んで運が悪いなんて寂しいことを思わなくてもいいんだよ。安心してね・・・」と気持ちを持ち、生き残った人達は、先に逝かせてしまった人達に許しを請いながら、毎日を我慢しながらも堂々と「その時」を迎えるまで生き抜いて行こうとしてきたのではないかと思います。だからどんなに酷い運命に襲われても、特に、戦地に送り出した待ち人がいる訳でもないすずさんは、普通に振舞え強く生きているように見えたのではないでしょうか。

 どうせ直ぐに自分も同じ所に逝くのだから。

 けれど、終戦で平和になると、「遅かれ早かれ何れみんな戦争で殺される」という呪縛から解かれることになります。

 その時、「じゃあ、先に死んだ大切な人達は、何のために殺されたのだろうか・・・みんな、最後は消えてなくなる運命だったのではなかったのだろうか?」という感情が心の底から溢れ流れ出たのではないかな。  「戦争」を生活の中に受け入れれば、正しくない(と感じる)順番で人の命が奪われることに我慢も出来たが、その前提が終戦で崩れてしまうと、先に死んだ「死ぬべきでなかった(と生き残った側が感じる)人々」に対して、先に殺されるべきだったかもしれない人々(自分達)が生き残っているこの世の中は、なんとも、不公平で、理不尽で、救いが無いものに見えて来たのでははいかな。

 映画の中のすずさんの激怒の末の号泣は、

 何できちんと精算してくれないんだ。せめて役に立たない自分の番くらいは守ってから終らせるべきだろ!

 って感じだったのかかな?

 でもね、この映画を観て、映画の中の人達のために涙は流れない。

 なぜなら、この世界でも、戦争の如何を問わず、不公平で理不尽で残酷な運命が支配しており、悲しい現実が目の前にあるからだ。

 借金で首をくくる人もいれば、親のDVや育児放棄されて死んでゆく子供もいる。

 金欲しさに祖父母を殺したり、好きな相手が自分の思い通りにならないからナイフで何度も刺す奴もいる。

 確かに一見、この世は最悪って感じる。だけどそんなに悲観する必要は無いと思う。なぜなら、私達は「この世に生を受けた」という、奇跡の最恩恵にあずかれたのだから、この世は奇跡の固まりなのだから。苦しい、楽しいを感じることの出来るこの世界に生を受けたことは、そんなに悪い訳がない。

 映画のエピローグを観て、まぁそれでも、まだ傍らに大切だと思える人がいるのなら労わりながら、お腹が空いた時に握り飯があれば食べて、絶望と折り合いを付けながら、人は幸せや不幸を織り交ぜて生きて行くことになるということなんだろうなぁと感じたな。

・・・と、この映画「この世界の片隅に」は俺に訴えているように感じたな。

 生まれてきてこの先、色々辛いことがあっても、その時が来るまで堂々と生きて行って良いのだと思えました。ありがとう!

(評価:★4)

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