[コメント] 運動靴と赤い金魚(1997/イラン)
ふとした瞬間に蘇る記憶のようなもの。それが私の記憶でなくても。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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母は、靴職人の節くれた手を見て死んだ祖父を思い出した。農業を諦めた後も80まで内職を続け、農作業や軍隊で分厚くなった手は休むことを知らないようだった。
私は、母がまだ小さかった当時の埃っぽい居間や、私が知っているよりもう少し若くてやはり無口な祖父や、正座で宿題に背を丸める小さな母を想った。
ふっと何かを思い出す瞬間がある。それは必ずしも自分自身の記憶と一致しない。見聞きした映像や話が無意識のところで関係している場合もある。でもそれ以上に、何か、自分のアイデンティティにこびりついて離れないものが想起させているように思えてならない。
イランと日本は地理的にも宗教的にも経済や民族構成的にも真逆、と言っていいくらい異なっている。しかし、このふとした瞬間に蘇る記憶のようなものがイランという異国を自分の身に重ねさせているのだ。まあイランに限らずですけど。
よく道徳の授業で教師が言う「主人公の気持ちになって」とは全く質の違った「感覚の共有」みたいなものを映画全体を通じて感じる。これが「エンターテイメント」なのかもしれない、なー。
(結局、冒頭から泣かされたうちの母は「走ってる時にお兄ちゃんが死ぬような映画なんじゃないかとハラハラしちゃったー。」と終止この映画を「泣ける映画」と誤解して見ていたようだ。…いくらあのシーンが手に汗握るとはいえ、肝まで潰して見ていたのはうちの母だけであろう。)
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