コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] クリーン(2004/カナダ=英=仏)

ジャンキー夫婦を包む混乱と混沌をそのまま絵にしたかのような冒頭の風景ショットが、物語の始まりを凄愴だが美しく象徴する。このワンショットが観客に送り込む不穏なテンションの高さとエントロピーの大きさから、観客はいかにして救済されるのか。
ジェリー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 全編にわたり、長大なデクレッシェンドとクレッシェンドの二つの主調音が鳴り渡る。一方は名状しがたい惑乱に満ちた破綻の暗黒へ、もう一方は歓喜と哀しみの双極を帯びた穏やかな光の世界へ。この拮抗をどのように統御するかが、演出者の腕の見せ所だ。

 キャメラは常にドキュメンタリー映像のようなそっけない付き合い方をもって主人公を追いかけながら、暗黒から光明への緩やかな移行を物語ってゆく。この調性変化のドライブ力が、しこたま魅力的だ。力強く、技巧的、そして配慮も行き届いている。とても有能なマネージャーの仕事ぶりを見ているかのようだ。

 映像のおもて側にはそんな気配が微塵も感じられない。画面は手ブレで動き 、あえて数秒間コマが断ち落され、動きが不連続になり、登場人物は同性愛者やすぐマジ切れする男などの半端者も出てくる。基本的にはインディーズシーンでとぐろを巻いている売れないロッカー夫妻の話だ。全世界的現象として21世紀の映画の登場人物は、相対的に「下流」化している。まさに今風の登場人物が今風の映像の切り取り方を示すフレームの中で動いている。少しも古典的でクラッシーな感じはしないのだ。しかし、発端部で主人公夫婦の境涯を周辺の脇役たちが簡潔に科白で描写するシーンなど、おもいのほかシナリオは堅実で古風である。この辺が演出の本体である。

 決して予定調和の進行をたどらない聡明さをこのストーリーは持ち合わせる。動物園で突如始まる息子の母への糾弾にスリリングな緊張、ときには胸苦しさを感じた人は多かろう。物語の終盤への落着をしだいに感じさせ始めたこの段階に来て一気にストーリーをひっくり返しかねない展開だからである。しかし、息子の舌鋒鋭い詰問に対するマギー・チャン扮する母の穏やかな返答が、ストーリーの進行と息子の心から荒い波立ちを抑えてゆく。そして詰問以前よりずっと強い絆が親子の間に再生し始める。ここに私は涙した。母の息子に対する返答の恐ろしいまでのロジカルさと正直さに、息子の突如の詰問に続く二度目の不意打ちをくらったからである。親子が対等であることの美しさと、そうあるべきことの正しさを一気に納得させる素晴らしい切れ味の展開だった。この映画は、真に新しい。根源的であるという意味で革新的だ。

 終結部にきて映画冒頭の不吉なテンションをいったん思い出させ、なおかつそれを打ち消す展開の構造には思い当たる節がある。過去の映画ではなくそれは音楽。ベートーベン「第九交響曲」の第四楽章の冒頭で、一〜三楽章を主導した旋律が不意によみがえり、それをかき消して始まる「歓喜の歌」、あの演出と展開そのものではなかろうか。参ったとしか言いようがない。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)浅草12階の幽霊

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。