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[コメント] 野のなななのか(2013/日)

冒頭から大林流全開で面喰らうが、言葉の渦で多人数の想いを捌き、人間模様からその土地の歴史まで描き上げようとする野心と手腕は見事。だが伝えるべきことは伝えられたか。☆3.7点。
死ぬまでシネマ

**ネタバレ注意**
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北海道芦別の「古里映画」という自己規定を如何に突破するのかは難題だが、そこに南樺太と福島県南相馬を絡めるのであれば、必然性があらねばならない。それを鈴木光男(品川 徹)とその一族という創作上の人物に託してしまったのは、果たして良かったのだろうか。戦争は個人こそを破壊する、というのはよく解るのだが…。炭鉱町である芦別からも南樺太に多くの炭鉱労働者が渡ったという台詞が出てくるが、その史実から広げた方が良かったのではないか?

亡き長男の長男(村田雄浩)の嫁の、節子(柴山智加)の描き方が残念。大家族の中で彼女だけ影が薄いのは、血族からはみ出した者、妻という日本的な抑圧された立場を表しており佳いのだが、終盤突如として存在感を顕わにする。その肝腎の清水信子(常盤貴子)との関係に説得力が無い。ビジュアルも含めてあれでは可哀想過ぎる。

それもこれも鈴木光男と並んでこの映画の最重要人物である信子の存在が確立してない所為であり、映画の致命傷となっている。物語と共に光男の秘密が明らかになり、後半から山中綾乃(安達祐実)が登場するという構成は佳いのだが、彼女と信子の関係が弱過ぎる。死者を現世に引戻したいのは大林の性癖だろうが、信子が綾乃の黄泉還りだったというのは、メッセージを伝えるべき映画の焦点をぼかしてしまう。運命はあってもそこで個人が考え、行動して欲しい。そういうメッセージでこそあるべきではないのか。信子はそれに逆行しており、出奔と帰還では補強しきれていない。

ただ常盤貴子安達祐実も美しく撮れており、そこに寺島 咲を筆頭に左 時枝山崎紘菜といった女達を彩るのは面目躍如だった。

(評価:★3)

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