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[コメント] ハッシュ!(2001/日)

あいまいな勝裕、あいまいな自分を捨て生き方を模索し始める朝子、腹を括っている誠也。3人それぞれに心から共感が出来た。そして俺がスポイトでもらったもの・・・
nob

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







コンビニで子供を転ばせてしまうような朝子は、自分を「女」と意識した生き方はしていなかったんだろうな。小さな頃に愛情をもらえず成長し、人一倍愛に飢え誰でもいいから抱きしめてもらいたくて、甘えたくて、でも意地を張りつづける生き方しかできなくて、やがていろんなことに疲れて、あきらめきった無気力人間となっていた。日常をただ過ごしてきただけで、朝起きても幸せを感じることなんて無かったに違いない。今までセックスをした男もそうだったけど、全てがただ自分を通り過ぎていくようにしか思えない。そこには生命エネルギーなんてものは存在していなかった。

それが病気をきっかけに考え始める。 何?どうなっていくの私は・・・?何でこうなっちゃったの?子供が産めなくなっちゃうの?私が子供を産めたの?子供を産むって何?子供産むとどうなるの?子供が産めないとどうなるの??

ある「可能性」が奪われてしまうという一抹の寂しさが、あきらめて生きていく事のつまらなさをツンツンと突っついて意識させ、生きていくという事を意識し始めた時、朝子は生命エネルギーを次第に取り戻していく。「あんた子宮で考えてんんじゃないのォ?」は、ある意味YES。

今まで、いろんな事をごまかしながら生きてきた勝裕もまた、生きる意味を見失っていた。生きることに目覚めた朝子は、まさに「朝陽」のように勝裕の中の何かを揺り起こし、目覚めさせ始める。二人は似たような境遇で育った似たもの同士。勝裕が朝子の申し出を断れなかったのは、今までの「ごまかし」では無く、朝子に人間として惹かれていったからだったんだね。

誠也は二人とまったく逆のキャラクターだ。境遇は親の愛情を一杯注がれて(それがどんな形であれ)育った。性格もあいまいなのが嫌いで、気持ちとか関係をはっきりさせようとする。「別れたいんだったら別れてもいいよ。」なんて言いながら気持ち確認して、実に「女性」を意識させる。覚悟を決めなきゃやってられないっていいながら、それでも寂しさや孤独に対する不安はやっぱり持っていて、そうやって自分の立場を確認しながら生きている。

この3人それぞれの考え方や行動が、自分のあちらこちらに当て嵌まってしまって、「おいおいこれは人ごとではないぞ」となってしまった。

ベッドにて勝裕が誠也を抱きしめながらきつく抱きしめる。苦しいという誠也に寂しいよりいいだろうというシーン、とっても自然で良かった反面、自分自身の事を考えると心がチクチク痛くなった。「言えるかな?言えない・・言えてない・・・」みたいな。

話が進むにつれ、朝子に対する見方が変わってくる。見ているほうも、映画の中の人たちも。朝子の決心は揺るがない、むしろどんどん生きる喜び、自信を持って行く。観ている皆にも想像して欲しい、「あきらめず生きる喜び」を。そして感じる「自分自信の存在」。あきらめるんじゃなく、ごまかすんじゃなく、抱えている問題から目をそむけずに、補いながら生きていかなければならない。そう、自分サイズのマイ・スポイトで、自分が必要としている誰かに与えたり、誰かから与えてもらったりしながら。恥かしい事でもなんでもない、人は誰でも生きることに不器用だから。俺も特大サイズのマイ・スポイトを用意して、まずはこの映画からエネルギーもらって注入する。

この3人の関係が永遠で無くても良いと思う。この3人が補いあい、それぞれが蓄えたエネルギーが、また回りの人を更に幸せにしていく。 そう願いたい・・・

(評価:★4)

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