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[コメント] ハウルの動く城(2004/日)

細田守だったら、この映画はいったいどうなっていたのだろう。
chokobo

当初この映画はジブリで細田守が作る予定で進んでいた。細田守テーストは全く見あたらなかったが、結局宮崎駿ワールドは守られた。宮崎作品の集大成として多くの過去の作品が貼り付けられているような映画となっていた。従って細田テーストは全く失われてしまっていた。

それにしても難解な映画である。宮崎監督が意識してこのようなストーリーを展開していることは想像できる。アニメといういかにも子供向けの手段を用いて、その向こうの中味は極めて大人だ。大人のファンタジーである。主人公も老婆であり、背景は戦争である。この状況だけでも子供向けとは言い難い。

この戦争(それも外国の)という状況がこの映画のポイントにもなっている。これは映画が始まって誰もが気づくことだろう。愛国主義という設定もそうだが、今の社会を反映している。サリマンという摂政がいる。これが誰であるか、誰をモチーフとしているかは語られないし想像もできないが、この摂政の思惑ひとつで戦争が続けられ終局する。この理不尽な設定も現実を投影している。物語はこのサリマンに操られている。

あとはジブリ作品の集大成。どのシーンもどの設定も過去の宮崎アニメがちりばめられていて、誰もがそれに気づくだろう。『ラピュタ』であり『魔女の宅急便』であり『もののけ姫』であり『千と千尋』である。特に『千と千尋の神隠し』とはシンクロする。ハウルはハクである。ソフィーは千尋である。そしてこの二人の愛が映画を広く覆っている。

ソフィーの性格も過去の多くの宮崎作品に見受けられる前向きな主人公だ。それは例えば千尋であれば環境が彼女を前向きに導く。『もののけ姫』のアシタカは男性だがもともと前向きだ。『トトロ』のさつきも『ラピュタ』のパズーもみんな前向きな性格だ。宮崎監督はこうした前向きな主人公に大きなノルマとハードルをもうける。

今回の前向きなソフィーにかけられたハードルは魔法というハードルであって、普通の人間では乗り越えることのできないものだ。しかし彼女もまた前向きで、老婆になろうが意地悪な魔女が現れようが、目の前に国をコントロールする摂政が現れようが、自分の意志を強く持って前向きに生きる。当初ソフィーは自分が老婆からもとの少女に戻るために前向きな努力をするが、実はそれがハウルとの愛を確かめるための行動であった。というのが今回のオチになっている。それは過去の記憶であり、忘れていた記憶でもある。(このエピソードは『千と千尋』そのものである)

再度冒頭の話に戻るが、これが細田守だったらどうなっていたか。原作を読んでいないが、もっと違ったテーストになっていたのではないか。つまり宮崎ワールドに細田が挑戦することで、細田の意思が生かされたのではないか。あるいはもっと残酷で悲観的な話になっていたかもしれない。そのことを思うと、宮崎ワールドを逸脱するはずだったハウルが、そのまま宮崎ワールドの中におさまって、結局一歩の外に出ることがなかったことが悔やまれる。

5点にしたが、以上により1点原点。(この後何度か見るうちに5点になるかも・・・

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] 4分33秒[*]

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