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[コメント] オール・ザ・キングスメン(2006/独=米)

政治家の話しでも、ジャーナリズムの話しでも、なんでもない。これは神が与えた善と悪についての物語なのだ。誰もが善悪を判断できないということだ。
chokobo

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







どうしても、政治家の話となると、そのディテールを追いかけてしまうので、議論がつまらなくなる。

1949年の前作は、映画の世界で政治家の汚職を描く、という意味で画期的であった。それで十分だったのだ。だからアカデミー賞を受賞しながら、賛否両論を巻き起こしたのである。

しかしあれから半世紀を越えて、現代でこの話しを映画にする意味は全く意味合いが違う。

現代の社会を考えて見よう。

アル・ゴアの『不都合な真実』、マイケル・ムーアの『ボーリング・フォー・コロンバイン』、これらの映画を見て、本作を考える。

するとどうだろう、政治家の話がそのまま社会全体の輪廻、同じことの繰り返し、そして善悪の薄いライン。(善と悪に開きがないということ)

テレンス・マリックの『シン・レッド・ライン』もそうだ。あの映画の見えない赤い線。それは正に善悪のラインだろう。

キューブリックの『フルメタル・ジャケット』もそうだった。訓練に訓練を重ね、戦争という重さを知る。そして善悪の違いを超え、見えない敵と戦うのだ。

本作に出てくる知事のボディーガードは、ほとんど無言のまま銃を磨く。そしてその銃が最後の最後にこのドラマの重要な意味を果たすのだ。

善から悪に変わったこの知事は、悪という自分の正反対にある、かつての知事の息子を病院長にするが、その善と思える若き病院長が銃をもって、この知事を殺してしまう。

議事堂でおきた恐ろしい惨劇で、善と悪とが血まみれになる。

このシーンはずっとモノクロが続く。

そして議事堂の床に一筋の血が善人と悪人の双方から流れ出て交わるのだ。

この素晴らしい演出、見事な演出だ。これが映画表現というものだ。

そしてこのモノクロの血が交ざったところで、再びカラーとなり、赤い血が画面いっぱいに広がり、この州の地図を描くのだ。

善が悪となり、悪と善が交わる。

これは政治家の物語として、その話の筋を追うものではなく、その善悪の変化とラインを画面を通して味わう映画なのだ。

品があって好感が持てる映画だった。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)煽尼采

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