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[コメント] 冷血(1967/米)

残念だが、『カポーティ』を見た後だと、どうにもならない。→評価一変!
chokobo

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







原作はもちろんトルーマン・カポーティであり、この映画が上映された年のアカデミー作品賞が『夜の大捜査線』、そしてノミネート作品に『俺たちに明日はない』、『卒業』である。

そんな年の作品として、この映画が上映されたことに当時の世相を感じることができる。

しかしながら、大変残念なことに、『カポーティ』という作品を見てしまうと、この実録の主人公の人物像がイマイチに思えてしまう。

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3点→5点

大分時間が過ぎて改めてこの作品を見直したのですが、確かに前述したとおり『カポーティ』を見るとどうにも時代性がマッチしないのですが、この事件が実話であることと、この『冷血』という映画のクオリティを考慮すると、評価を変えざるを得ないんです。

それは特にこの映画の後半部分で示されます。

死刑が確定して、牧師に本心を語り始める死刑囚のペリーのセリフ。

自分が幼い頃、父親にライフルで殺されそうになった瞬間、父親が「俺がお前が見る最後の人間だ」というフラッシュバック。ライフルは空砲でペリーは生きながらえるのですが、一家4人を惨殺するとき、このことが脳裏を横切り犯行に至ってしまう。この過去を語るペリーの顔。夜の独房、窓際で雨が窓にしたたります。そしてその雨がペリーの顔にシルエットとして流れる。顔に雨のシルエット。この表情。本人が流す涙なのか、それとも雨だれなのかがわからない。そんな芸術的なシーンがこの映画に隠されていたんですね。

やはり映画はじっくり見ないといけません。

ペリーは絞首刑になるとき「きっと自分は謝りたかったんだと思う。でも誰に?」

このセリフは重たいですよね。

罪を犯した者が謝る相手、罪を償おうとする相手とはいったい誰になるのでしょう?警察でしょうか?遺族でしょうか?それとも神なのでしょうか?いずれも違うと思うんです。要するに自ら犯した罪なのですから、自分自身に謝罪しない限り許しは与えられないんですね。自分を許すという行為は、その罪を反省する気持ちが高ければ高いほど難しいものとなります。そしてこの主人公のペリーは自分の生い立ちに責任を押し付け、殺害という罪を犯す。そして殺害に至った経緯を牧師に告白する。それはすなわち自分を許せるか?というテーマを抱いたまま、死刑を迎えるという問題だったのです。だから彼は謝ることを覚えながらも誰に謝って良いかわからぬまま死を迎えるんですね。

このラストシーンは見事です。心臓の音が刻々と時を刻み、絞首刑が終わって最後の鼓動の音でエンディングを迎えます。冒頭の暗闇の遠くから近づくバスのライトのシーンやペリーの告白のシーンなど、この映画のカメラ(コンラッド・ホール)は、それこそ冷徹に人物をえぐりますね。

そしてこの映画のもうひとつのエポックは音楽でしょう。クインシー・ジョーンズが繰り広げるジャジーなメロディと静寂がこの映画全体と当時の時代性を浮き彫りにしていますね。

ところで、あまり認識していなかったのですが、トルーマン・カポーティは『名探偵登場』という映画に自ら出演していたんですね。わたくしこの映画、映画館(確か「松竹セントラル」だったと思いますが。)で見ました。今思うとこちらの映画は大スターが総出演しているおかしな映画で、当時字幕で見た映画ですが、内容がよくわからずに、コメディなのに全く笑えなかったのを思い出しました。

2010/01/10(自宅)

(評価:★5)

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