[コメント] ぼくの好きな先生(2018/日)
この画家はよくしゃべる人らしい。さらに、編集でその饒舌さが強調されるのだが、発せられる「言葉」に大した意味も力も感じなかった。多弁は自らまとった「鎧」なのだろうか。前田哲監督は、この画家の「言葉」の軽さについて、どう感じていたのだろうか。
そこが本作の出発点だと思うのですが。
自分は半端者だから半端な画しか描けないと画家は言う。自虐、遠慮、謙遜、迷い。この自己肯定の低さは何に根ざしているのでしょうか。その原点は、どうやら画家が過去に関わったある「ふたり」の存在にありそうだ、と発見したところで、このドキュメンタリーは終わります。
なんだかもの足りなかった。だって、作中で紹介された、その「ふたり」からきた、それぞれの手紙の“文字”と“思い”のあまりの「差」が強烈な印象を残したから。このドキュメンタリーは、画家と「ふたり」との関係(痛み)にさらに踏み込むところから、やっと始まるような気がしてなりません。
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