コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] こちらあみ子(2022/日)

さて困ったものを観てしまったなあというのが正直な感想。他者に対して真摯であろうとしたときに、お前なら“あみ子”的な存在とどうかかわるのだ、という問いを突き付けられたからだ。私はすでに十分に"ずるい”大人なのですぐにレッテルを貼ってすまそうとする。
ぽんしゅう

例えばアスペルガー症候群とかADHDといった“理由”が頭に浮かぶ。理由を見つけた私は“あみ子”的なものを世間のなか、つまりは自分のなかのお約束の位置に据えて折り合いをつけたつもりになる。しかしこの映画は、そんな私の目を見つめながら「それで?」とさらに問いを重ねてくるのだ。厳しい映画だ。

分かったようなレッテルを“あみ子”的なものに貼り付けたとしても、それは“あみ子”のためではなく自分のための言い訳にすぎず、彼女と周囲(私)との関係(かかわり方)に結論めいたこと(映画の感想)が成立するわけではない。その意味で本作の惹句「あのころの私が呼んでいる」もこの映画の本質をはぐらかしていると思う。映画で描かれる世界の主体は執拗なまでに“あみ子”であり、おおかたの観客の「あのころの私」は“あみ子”の家族であり級友のはずだから。

それほど本作は大沢一菜という新人俳優の強烈な“あみ子”的なものに依存している。新人監督森井勇佑が、すべてを大沢一菜の存在感に託した思い切りの良さは十二分に成功していると思うし、中心に据えた彼女を活かす(特に音に関する)細やかな心遣いも素晴らしかった。ただ森井勇佑が伝えたかったことを「映画」というカタチにするにはもう少し主体的な工夫(補助)が必要な気がした。

この状態、つまりは“あみ子”的なもの以外のすべてを突き放した状態に、私はいささか混乱している。浜辺のあみ子の心情と、これからの彼女の生きにくさを想像すればするほど、あみ子の孤独を評価する基準を持ち合わせていない私は、本当はこの映画に点数など付けてはいけない気が、今でもしている。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)クワドラAS[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。