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[コメント] クラウド アトラス(2012/米)

"Cloud Atlas" sextette, Movie of discord
Orpheus

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ゼロ年代に生まれた原作を映画化した、6つのエピソードから成るクロスジャンル・ムービー。監督の一人であるトム・ティクヴァは自ら「クラウド・アトラス六重奏曲」という曲を書き、約3時間に渡って交差するその物語の中でモティーフを変奏させて作品全体のテーマを浮かび上がらせようしているが、残念ながらその試みはウォシャウスキー姉弟との合作によって失敗しているように感じられた。

およそ合奏曲はみな、各プレイヤーの個性を衝突させつつも、曲全体を貫くテーマを奏するために互いの音色・音律・アーティキュレーションを調和・綜合させていく不断の歩み寄り無くしては到底「美しい演奏」の歓喜には到達し得ない。その意味において、この『クラウド・アトラス』はどうだったか? エピソード間のトーンやピッチ、リズムは不調和のまま、映画は安易に「移動する」「逃げる」「戦う」といったシーンや状況の関連性だけで繋ぎ合わされている。しかも、物語全体を貫くテーマ(主旋律)となるべき「既存のシステムや価値観からの解放(※)」については、原作を再構成したプロットに沿ってただ演出されているだけ、ただ演じられているだけだ。また何よりも残念だったのは、劇中を通して変奏されていくナイーヴな「クラウド・アトラス六重奏曲」(無名作曲家の六重奏曲が交響曲化されていること自体がそもそも不自然だ)のサウンドが、作曲者ティクヴァの思い入れに反して、他の5つのエピソードにおいて単なる色付けの映画音楽の域に留まっており、物語全体を支配して観客の心に響くような強い衝撃性や革新性に欠けていたことだ。

これがもし、様々な時代の人生模様を描くというオムニバス的な映画であったなら、『10ミニッツ・オールダー』のような手法、つまり6つのエピソードに対して6人の監督で描くという手法が有効だったろう。しかし、本作のように「輪廻」的な、時代を超えた連関を奏でようとする作品において、指揮者たる監督が多いのは果たして正しい選択だったのか? 「システムからの解放」を描くために『マトリックス』のウォシャウスキー姉弟をワーナーが起用する一方で、解放と真逆の耽美性に着地してしまう『パフューム』のティクヴァを共同監督としてプロジェクトに参加させたことが、この作品に不幸な不協和音をもたらしたと私は思う(もっとも、個人的にはむしろウォシャウスキー姉弟なしの、退廃と文藝の香りで咽せ返りそうな『クラウド・アトラス』の方を観てみたかったが)。

※6つのエピソードで、奴隷制度、師弟関係やヘテロセクシャル、巨大利権産業、金と暴力、クローン再利用システム、宗教等々からの解放が描かれている

(評価:★2)

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