コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 禁じられた遊び(1952/仏)

今晩、娘たちのハムスターが死んだ・・・初めての「死」の体験に娘が号泣した。
sawa:38

私も涙した。だが、変な話だがほっとしたのも事実だ。2年近くの長寿をまっとうした小さなハムスター。人間からすると彼等の命が僅かな期間であることは重々承知していた。だから私は妻と心配していたことがある。

親馬鹿と笑われるだろうが娘は優しい娘に育っている。しかし、唯一の心配は「哀しい」とか「感動した」といった「優しい涙」をみせたことがなかったから・・・可笑しな話だが、この件で私は少しばかり安心した。

うちの娘たちは「死」を身近なものとして体験したことがない。これは幸せなことだろう。ポーレットとミシェルの周りには「死」が溢れていたから。だからポーレットは泣くことも無かった。

十字架が足りなくなる程の「溢れる死」。「死」をも十字架遊びに変えてしまう程のありふれた日常の哀しさよ・・・

避難民でごった返す田舎道を機銃掃射する戦闘機はある意味美しく、そして楽しげに空を舞う。軽やかな機銃音がリズムを刻む時、悲鳴はソプラノの合いの手をうち、鮮血は鮮やかな赤に風景を塗りつぶしていく。パイロットは高揚する。自分が軽く舞い、そして引き金を引く度に・・・・・・・この狂った「遊び」は止められない。

「死」を敏感に繊細に感じ取って生きていたらやり切れない時代。彼等は鈍感になる事で自己崩壊しない術を得た。彼等のような子供はその後も多くどこの地域にも排出された。中東・アフリカ・ベトナム・カンボジア・・・・今でもそうだイラクにもミャンマーにもスーダンにもいる。あの駅の雑踏に溶け込んでいったポーレットはそんな子供たちの総称だ。

今晩見せ付けられた娘の号泣は、そんな国の子供ではなくて良かったという小市民的な小さな安堵感なのである。

どんな小さな命にも尊厳を感じ、そして「死」なんてものが非日常の代名詞であることを強く感じて泣け!今晩は思いっきり泣けばいい!

08年5月28日、可愛らしさで家族に微笑みを与えてくれたハムスター「ハッサン」に捧ぐ

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。