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[コメント] 田園に死す(1974/日)

思い出は過去のものだけじゃなく、現在にも浸食してくるものと知り、とても怖くなりました。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 はっきり言ってこれは私にとっては“衝撃”そのものの作品だった。これを観た時、私の求めていた映像世界はすべてここに入っている!と思えたほど。レンタルビデオで観終えた後、すぐにビデオを買い、DVDも出ると同時に購入した。観るにはそれなりに精神的な余裕が必要だが、未だ観る度に新しい発見がある。私にはかなり貴重な作品の一本だったし、寺山修司の最初の出会いとしては最高のものだった。

 本作は監督自らの少年時代の回想でもある。これは彼にとっては50年代から70年代に至る精神的な旅の話だったのかもしれない。閉塞感が漂い、ほんの僅か入ってくる外からの情報や、慶弔ごとにむらがる以外気晴らしの方法がない田舎と、様々な情報にさらされている現在の自分。大人の視点から少年の自分を見直し、その誤りをただそうとする今の自分。

 回想形式の物語ではそれが正しい。かつての自分の過ちを直視することで現在の自分のルーツを振り返る。言い方は悪いが、「自分はもう大人なのだ」と確認することがこのタイプの作品の例となる。自分の望む過去を剥ぎとって、ありのままの自分を受け入れることがこの場合は重要となる。

 本作も途中まではその定式のまま展開する。自分が人に対しても自分に対しても隠してきた、トラウマとなっている部分を目前にし、できればそれを少年に避けてほしいと願う。

 だが、自分の最も観たくないところに差しかかったとき、今の自分に揺さぶりがかかってしまう。果たして私はその決定的瞬間に対し何事かできるのか?優位に立っているのは本当に自分なのだろうか?その不安が始まると、今度は今の自分自身が過去にとらわれてしまう。ここからメタ的展開へと入っていくわけだが、少年時代の自分は大人の自分を超えて予測もつかない行動をするようになり、ついには自分を過去に置き去りにして去ってしまう。物語上こんな展開はあり得ない。

 結果、現在の自分は過去と決別できず、超えることもできないまま、捕われ続けて話は終わる。過去と今を並行して生きていく。その突き離しに唖然としたまま話が終わってしまう。あのラストは爆笑ものだが、同時にたまらなく不安にさせられる。

 正直こう書いてみても、はっきり分かったと言うわけではないのだが、分からないからこそまた観たくなる作品でもある。

 尤も、本作で評価されるのはそう言った物語性云々よりもビジュアル的な数々のギミックの方。意味不明なコーラスを伴うシーザーの音楽、土の色をした村の中に突然現れてくる人工的な原色、物語を暗示する寺山の詩の数々。一つ一つが不気味で、同時にとても綺麗。これらのビジュアルに浸っていることが本作の正しい観方ということなのかもしれない。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)いくけん[*]

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