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[コメント] ブラック・クランズマン(2018/米)

リー監督だからこそ作れる作品。苦手なストーリーなのに引き込まれる。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 アメリカの人種差別の典型とされる白人至上主義者KKK(クー・クラックス・クラン)に潜入捜査をしたという伝説の人物ロン・ストールワースの手記を元に製作された作品。これを一本の映画として作れるのは、世界広しといえどもこの人しかいないというスパイク・リーが監督。しかも主演はデンゼル・ワシントンの息子で、助演にアダム・ドライヴァーという万全の布陣で臨んだ作品である。ここまでやって面白くない訳がない。

 わたしの好みの問題で、わたしは騙すという行為を主題にした映画は苦手で観ていて辛くなるため、敢えて劇場版スルーでソフトにて鑑賞。

 家庭用テレビで観ていたとしても、途中でいたたまれない気持ちにはなったが、作品自体は実に良い。

 いつばれるか分からない緊張感と使命感、それに守るものがある立場から感じる後悔など、様々な感情が入り交じって緊張感が途切れないまま最後まで突っ走る。

 更に演出の上手さは、いわゆるレイシスト側の理というものもちゃんと出ていることだろう。一方的にレイシズムを糾弾するのではなく、ちゃんと理屈を聞いた上で何が正しくて何が間違っているのかをきちんと説明する。単純に正義と悪に二分するのではなく、何故この立場にあるのかを観ている側に突きつける構造がリー監督のスタンスだ。

 レイシストの理屈とは、狭い共同体の中で同質の仲間だけで固める、楽な世界である。多様性よりも均一性を求めるのは、その方が楽に生きられるし、自分は努力しなくてもその一員になれるという強みがある。そして仲間内で共同体外の存在を敵と認定して、文句言ってれば良い。とても居心地が良いものだ。一方では、この狭い世界を守ろうとする意識は高い。彼らは仲間意識は極めて高く、仲間のためだったらどんな危険も犯すし、命を賭けて仲間を救おうとする。

 一方、多様性を認める生き方は、自分が努力して相手を受け入れなければならないし、不満も口に出せないということもあって、大変窮屈な生き方を強いられる。この立場に立つ正義は博愛に近い。

 この二つの立場はどちらの立場にあっても正義である。それを同時に提出した上で、監督は、自分は差別と戦う立場にあることを明確にして映画作りをする。

 本作は1970年代、つまりヒッピー世代の出来事というのが強調されているが、その時代性を感じられるのも上手いところだ。当時の左翼運動は同時に麻薬やディスコなどの楽しみを取り込んで展開していた。左翼運動家も聖人君子ではなく、自分の楽しみを追求してる。その部分もちゃんと描けている。こんなところにも単純な善悪ではないものを作り込む意欲に溢れてるのも分かる。

 善悪を感情で描かずに、ちゃんと理論的に双方の主張を取り入れつつ論理的帰結に持って行く。これが『ドゥ・ザ・ライト・シング』からずっと続くリー監督のスタンスである。この人にしか作れないものをしっかり作り込んでくれた。

 キャラに関してもとても良いのだが、アダム・ドライヴァーが結構不遜なキャラを演じてるのがちょっと違和感あり。役としてユダヤ系っぽさを強調していながら、KKKに入団するのもちょっと無理あるような?アダムと言えば、神経質なキャラが一番合ってると思ってるので、本作ではあまりはまって見えないか?あと、ジョンのアフロヘアはちょっとやり過ぎ。

(評価:★4)

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