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[コメント] インソムニア(2002/米)

両耳から囁きかける二つの声…(結局ウダウダ考えた末、変に長いレビューになってしまいました)。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 この作品のレビューを書くのはかなり困難を覚える。これを観て、すぐにレビューが書けず、一晩放っておいたほど。

 これを観終えたときの正直な感想を言わせてもらうと、かなりがっかりした。

 アル=パチーノロビン=ウィリアムズの競演。しかもウィリアムズは悪役に挑戦すると言うことで(一応私はロビン=ウィリアムズのファン)、とても楽しみにしていた作品だった。パチーノは巧く、特に不眠症が進んで憔悴していく過程の演技は絶品だったし、ウィリアムズも、元々が“欲ばかりが高く、気が小さい頭でっかちの人間が人を殺してしまった”と言う感じの役をちゃんとこなしていた。冷静に事を進めようとする熱血刑事エリーを演じたヒラリー=スワンクも悪くない。それに劇中に度々現れるイメージはサブリミナル的な効果を上げる事にも貢献している。白夜の中で判断力を失っていく刑事。と言う設定も実に気に入った。これだけ魅力的な小技を使っておいて、なんでこんなに当たり前の作品を作ってしまったのだ?と言う感じ。

 結局、せいぜい普通の刑事映画っぽい。

 ところが、それで酷評を書くつもりでパソコンを前にして、色々考えを巡らせていたら、なんかすっきりしなかった。言い表すことが難しい、表には現れないメッセージのようなものがあったのでは?そんな気がしてならなかった。  それで、こういう場合によくやるように、色々とキー・ワードを当てはめてみて、それに合うものをどんどん純化していく方法を試してみた。すると色々と考えがまとまってきた。まず、何が不思議だったかを見つけ、その事を追求してみた。

 何が不思議だったか、何がこの作品を不安定なものにしているのか…それが一箇所見つかった。

 ウィルがハップを撃つシーン。これが、故意であったのか、本当の間違いであるのか、最後まで解き明かされないと言う事実。何せウィル本人が「分からないんだ」と言うくらいだから。

 これだけ大切な部分をこんなに不安定にしたのを、単なる監督の力不足だとする事も出来る。が、まさか『メメント』、『フォロウィング』のノーラン監督がそんな根本的な間違いをするか?

 それでその部分を中心に物事を考えてみた。

 よく漫画で見かけるシーンだが、何か悩み事を前にした男の両肩に天使と悪魔が乗って、耳に囁いていると言うシーンがある。戯画化されているが、これは人間の中にあるアンビバレントを見事に表した構図だと思う。そして大概の場合、漫画では人は悪魔の声の方に従う。それはそうなのだ。両側から色々な事を言われ続けると、人の判断力はどんどん低下していく。やがて、一番簡単な方法、この状態から逃げる方法を考え始める。そうしていると、甘い声の方が魅力的に思えてくるものだ。

 この天使と悪魔は自分の中からやってくるものだが、通常だったら人は表面上の強い意志があり、自我は抑えられる。社会的な部分(表層的な意識とも言う)が低下したときにこそ、人の奥底にある自我が現れ始める。こんな時に、人は内面の声、妄想のようなものに耳を傾けてしまいたくなる。

 ウィルは非常に意思が強い人間として描かれているにもかかわらず、ここでは強いストレスを受けていて、意思力が奪われ、エゴが表層に現れかねない状態として描かれている。

 これにはちゃんとした理由があり、かつて正義のためと信じ、捏造した証拠物件が内部監査局によって明らかにされようとしていたのだから。しかも、相棒のハップから、保身のためにその証拠を監査局に差し出す用意があるという衝撃の事実を聞かせられていた。

 更にそれに追い打ちをかけるように白夜のこの町で、不眠症(インソムニア)にかかるウィル。彼の判断力は徹底的に低下し、そこでハップを撃つ。と言う事態に発展する。

 ここからがこの映画の主題となる。この映画の主要部分は犯人との対決ではなく、ウィル本人が不安定な精神状況の中、二つのアプローチがかけられる。その極限状態での選択こそが最も重要なものであった。片やウィルを尊敬し、彼の正の部分に働きかけるエリーと、ウィルの凶行を見て、共犯者に引きずり落とそうとするフィンチ。天使と悪魔とが彼の両耳に語りかける状況がここに完成する。

 それで、不安定な状態で両耳から語りかけられ、悪魔の甘言に乗ってしまうウィル。だが、もう片方からの天使の声も依然として続いている…

 一度下してしまった極限の選択。だが、それは撤回不能のものではなかった。

 そこがこの作品の主題ではなかったのか?そう考えると、かなりすっきりする気がする(これが私の妄想に過ぎないと言う可能性も勿論あるけど)。一見難解に見えるけど、結構しっかりしたイメージを内包してるのではないかな?エリーもフィンチも人間的側面を持たせたのはそのせいかもしれない(フィンチを、全てを計算ずくで行った神の如き存在として描くこともかのうだったのに、それを敢えてしなかったし)

 でも、ウィル本人の口からそれを語らせるのが本当に良かったのか?もしこの作品で失敗した部分があるとしたら、その部分だったかも?

(評価:★3)

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