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[コメント] マトリックス レボリューションズ(2003/米)

「あなたは愛するもののために身を犠牲にできますか?」・・・・残念ながら、退屈を通り越して不快だった。
くたー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







話を「愛」で決着つけてるのが安易。という言い方が乱暴ならば、大して「愛」の考察もしてないまま堂々と連呼してるのが安易。

ここに描かれているのは愛というのは、「犠牲愛」のようなモノなのか。でもヒトコトで「愛」と言っても、美醜で簡単に片付けられない様々なカタチがあるワケで。(実体がないから曖昧なのではなく)ヒトコトでは定義できないがゆえに曖昧ではあるけど、「人間だけが持っているもの」として扱われていれば、多分それほど安易だとは思わなかった(と思う)。少なくとも今まで散々理屈をこねくり回しておいて、なぜ肝心の核となる部分が何でロクに考察されないまま、安易に扱われているのか。それが何より肩透かし。そもそも「犠牲愛」の裏にあるものは、純粋に対象を思い遣る気持ちなのか、それとも究極の自己満足なのか、それすら自分にはよく分からないし。

そんな感じで大層美しく恋人たちの「犠牲愛」が扱われて、場面は戦闘シーンへと移行する。そこで人々は「種の保存」のため、「国」のために率先して身を犠牲にする。誰一人命乞いをしたり、躊躇して引き下がったりせずに、それはもう勇敢に。でもそれって本当に「人間的」なのだろうか?まるで人間の弱さを排除しているかのような戦闘シーンに、不快感がこみ上げてくる。そもそも敵が機械だろうがウィルスだろうが、「戦争」において何の曲折もなく当たり前のように美しく「犠牲」が描かれていること自体、不快以外のナニモノでもないと思うのだけれど・・・・。もう個人的には最も嫌いなアメリカ映画の典型。

というワケで、話のそこかしこに散りばめられた記号を読み取る気力も、もはや失せてくる。唯一の救いは最後のスミスとネオの決戦の荒唐無稽パワー。殴られてスミスが変形するのを、どうしてああまで克明に再現するのか、みたいなことに無邪気に力を注ぎまくってる、その「荒唐無稽さ」がこのシリーズの独特の愛嬌で、そこに惹かれて今まで付き合ってきた。その愛嬌に引き摺られて最後に失望させられたのもまた不快といえば不快。

(2003/11/9)

(評価:★2)

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