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[コメント] さようなら(2015/日)

全編ポエムのような作品であります。しかしそのうっすらと塗り込めれた死のイメージがこの映画の映像を全面に覆う。原発モノとしてのペシミズムより、むしろ本質的な人間の生と死を問い続けているかのように、、。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







若いころ自分の息子を殺してしまい、もう一人産んだ息子と引き離された女は、わが子が海外に移住することを知り自死する。彼女の移住優先度は低かった。残されて死ぬことより自分で断罪をすることを選んだのだろうか。

ターニャの恋人は在日である。彼の移住優先度も低いと思われたが、急に移住することとなった。ターニャと結婚しているわけではないので、両親と移住するという。男は南アのアパルトヘイトに何故か過激に反応する。在日を実際は深く意識していたのだろうか。

そしてターニャである。彼女は10歳ころに南アから難民として移住してきた。だから移住優先度は極端に低い。しかも子供の時から病気を抱え、自分の寿命の幾ばかりなのかは彼女が一番知っている。彼女のもとには常にアンドロイドが寄り添っていた。

彼女は常に詩を諳んじている。読むときはいつもアンドロイドのレオナが諳んじてくれる。ここで、カールブッセと若山牧水の有名な詩が突如出現する。むかし教科書で読んだかの有名な詩である。

「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う、、」「 幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」

ふいに50年前に戻る。思春期に感慨深く思い耽った時の詩である。なんとまあ、懐かしきことよ。でも、この映画に実によく似合う。人は一人で生まれ一人で死んでゆく。人生は、一生、旅。永遠に旅するのである。

ターニャは毎日近くの竹藪を見ていた。竹の赤い花を見るために、、。しかし生涯一度も彼女はそれを見ることなく永遠へと旅立った。アンドロイドのレオナが竹藪を見に行く。そこには竹藪一面に赤い花が咲き乱れている。

人間よりアンドロイドの方が人の心を感じている。生身の人間の方が人の心を受け入れることができないのか。人間とは悲しい生き物だ。

竹の花は数十年に一度咲くと聞いたことがあります。しかし咲いたらその竹藪は一斉に枯れ果てるとも聞きます。この、人間が不在の、原発後の、みんなが見放したその後の日本を象徴しているのでしょうか。

怖い映画でもあります。自然も、光も、空も、澄んでいるようで美しいのですが、その実、美しさの裏返しに、放射能という恐ろしいものが潜んでいるこの空虚感がやはりたまらなくはかないです。

好きな映画です。全編に流れるこのたゆとう詩情がたまらなくいいです。キェシロフスキ「ふたりのベロニカ」のイレーヌ・ジャコブが出演しているのも我がノスタルジーを感じさせます。

(評価:★5)

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