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[コメント] クイール(2003/日)

子犬のクイールの可愛さで、場内が何やら幸せな空気に包まれて居た。初っ端から泣いている人多数。 2004年3月5日試写会鑑賞
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







正直、監督が監督だけに見た、と言う感じで(というか、試写状を譲ってもらったので見た、と言うのがホント)全く期待していなかった。聞いていた通り、それなりに淡々と演出してるのかもしれない。だけど、序盤の過剰なまでに「可愛さ」を強調するかのような音楽には嫌気が差す。嫌な予感的中。

作品の意図がイマイチ掴めないんだよね。犬を主人公にした映画は『南極物語』だとか『さよなら、クロ』というのがすぐ思い浮かぶんだけど、両者とも盲導犬ではない(片方は盲導犬以上に訓練されてるんだろうけど)。だけど、(俺は両方とも好きな映画じゃないけど)支持する人は居る。

正直、この作品はその2作と何ら変わらないのではなかろうか?単純に盲導犬と人間の心の触れ合い、それだけ?そんな物世界中のあちこちで毎日の様に起きてる事だろうし、今更どうのこうの映画で語っても、そんなに意味があるとも思えない。いや、まぁ実話だ、ってんだから仕方ないのだろうけど、この作品の主人公(?)の犬は盲導犬。

盲導犬は、クイールこそ特別だったのかもしれないけど、血統書の着いた犬が訓練所でさらに訓練を受ける過程で厳選され、その訓練に耐え抜いたエリートのみがなる事の出来る地位。それでもって、試写会の司会曰く、現在盲導犬は必要としている人の人口よりも遥かに少なく、この映画を見て、盲導犬の大切さ等を感じて欲しい、との事。

本当にクイールの一生を追うだけで良かったのだろうか?あの頑固親父が死んだ後に延々とダラダラと続くエピローグは明らかな蛇足。やるなら、その後をテロップ等を使ってパッパッと流してしまえばよかったのでは?と思う。実際、あのエピローグで、泣きそうだった俺は一気に萎えてしまったし。

犬の撮影にはかなり苦労したそうで、実際、クイールが子犬の段階のシーンは、クイールばかりを追いかけて撮影されているから、その苦労が良く分かる。だけど、そこに「この風景はのどかですね」とか「悲しい別れです」みたいな、あからさまな音楽演出は不要では?あざとすぎる。中盤辺りから変に音楽で演出しなくなったので、落ち着いて見れたんだけど・・・・って、じゃ、序盤は一体なんであんなにダラダラ音楽垂れ流していたんでしょうか?(苦笑)

渡辺さん(←頑固なおっさん)の葬式のシーンでは、場内から泣き声がうようよと聞こえたし、子犬のシーンの撮影も可愛く撮っているし、盲導犬訓練所に行ってから以降は、派手に音楽で演出せずに淡々と見せている姿勢には好感が持てる。

もっともっと、淡々と描いて、「盲導犬」と言う題材を扱う以上、それなりの”何か”を描いて欲しかった。単純に「動物」映画でしかないなら、この人たち(←クイールをリアルタイムで知っている人たち)の思い出の中だけで良いと思う。世界中に、同じ様な人は何人も居るはずだから。悲しみを伝えるんじゃなくて、悲しみから何かを伝えるのがこの映画の役割ではなかろうか?

個人的な意見だけど、感動した、と思う人はエンドロールをしっかり見て欲しい。クイールのそれぞれの年代を演じた犬達や、special thanks、とか、何か本編中で一番暖かかった。

それから、ナレーションってんは、一人に統一するべきじゃなかろうか?

◇追加(2004年3月15日)

先日、この映画の感想で「かわいいかわいいみたいな演出ばっかりで大切な”何か”を描けてない」と言うと、「前半部の「かわいい」的演出があるから、後半部の淡々とした部分との対比となって、引退後の様にクイールも普通の犬の人生を送れた、と言う意味が強まるのでは?少なくともこの映画には、盲導犬は目の見えない人にとって「当たり前」としての認識を与える為に十分な力を持っていて、それこそが”何か”ではないでしょうか?」

といわれました。成る程、と思う反面、では聞きますが、この映画を見るまで盲導犬はアナタにとって当たり前ではなかったのですか?と思います。この試写会の時に募金箱が設置されており、盲導犬の為に募金を募っていた。多くの人が募金していた(俺もしようと思ったけど箱見つけられませんでした/アホ)。

確かにそれはこの映画の持つ力が成した事かもしれないけど、正直言って、それってクイールと言う映画に一時的に感動させられただけではないでしょうか?(ちょっと暴言めいてるかもしれないけど言わせて下さい)

僕が言いたい”何か”はそんな事じゃなくて、もっと違った”何か”なんです。「募金したくなる」から”何か”が描けて居るとは到底思えない。

本当に”何か”を伝える気があるのなら、「クイール」と言う物語を使わないはずだと思う。本当に描く気があるのなら、音楽無しでやるはずだ。っていうか、ドキュメンタリータッチでやってもいいんじゃないのか?とまで思ってしまうのですが。

クイール』はあくまで、他の「犬」映画と変わらない、一本の、いわゆる「感動モノ」とジャンル分けされる部類の映画であって、”何か”を伝えるには圧倒的に力不足の作品ではないのだろうか、と思いました。

まぁそれでも観客に「募金しよう」と言う意思を起こさせるだけの泣き所を演出した、と言う意味では評価できるかもしれないけど。

投票していただいた方、すみません。今更、身勝手ながら書き換えさせていただきました。

(評価:★3)

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