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[コメント] クレイマー、クレイマー(1979/米)

ごめん、見る前は『ビッグ・ダディ』が『アバウト・ア・ボーイ』やってるの映画だと思ってた(アホ) 2003年8月21日ビデオ鑑賞 ちょと長い→
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







当初、俺はこの映画に関してあの音楽とフレンチトーストの事しか知らなかった。で、どーせダスティン・ホフマンが『ビッグダディ』な感じになるんだろ?と思っていた。

まぁ要するに子育てに悪戦苦闘する、と言う事なのだが。まぁ確かに多少なりその様な描写(初めて(妻の居ない朝)フレンチトーストを作る時)はあるものの、正直、彼が息子を育てる、行為に悪戦苦闘するシーンはさほどない。

この映画の主題は安易な感動モノでも、ましてや子育てに悪戦苦闘するコメディでもない。

妻の身勝手さは確かに問題があると思う。彼女は家庭の中で、固定観念、つまり、現代では「女=家事」と言う考え方は「古い物」として考えられているが、恐らくこの映画当時の状態は全く違う物であったに違いない人々の考え方に縛られ、自己、いわゆるアイデンティティを失い始めてきていた訳だ。

結婚し、子供が出来て以来、仕事をやめ「主婦」に専念してきた訳だ。夫は夫で仕事に熱を入れすぎて、自分に、否、家庭に対する愛情が見えてこない。そんな、(彼女にとって)絶望的な状況の中で自己発見の為の旅に出る訳だ。つまり、家出。

ここで子供を捨てたのは、「1からのスタート」と言う意味だ。だが、コレに対し「自分勝手だ」と言う意見が溢れている訳だが、では、それまで仕事ばかりに気をとられ(直接的な説明や描写はなかったが)家庭に構わず、恐らく休日返上で育児も放置で「自分のしたいこと(やるべき事?)」をしてきた夫はどうだろう?

映画で中心に描かれるのが彼で、映画は「妻が家を出たその後」を彼を中心に描く。

基本的な心理描写も何もかもが彼。子育てに悪戦苦闘し、少しずつ家事に慣れてくると仕事にミスが出始める。そう簡単には行かない「理想」の「プライベートとビジネス」の両立。

しかし彼は仕事を首になる事、仕事に支障が出る事を踏まえた上で息子を親戚に預けなかった。息子が怪我すれば抱えて走り回る。夜寝る前には本を読みキスをする。時には怒り、時には優しく抱きかかえる。

そこに突然表れた(元)妻(正直、こいつら離婚してねーんだろ?書類書いてないし、そういう描写なかったし)。こいつは突然夫(と観客)にとって大切な「息子」を「返せ」と言い始める。

裁判では夫側には明らかに不利。おまけに色々な証拠も取り出されて絶望的。

ここまで来ると観客は夫に同情せざるを得なくなり、妻=身勝手となる。

では、この映画が4時間の映画だったら?

この映画は2時間程度だが、そこで描かれる裁判は30分程度であり、他の1時間半は男の悪戦苦闘と息子との愛だ。

では、その2時間の前に、妻のそれまでの結婚生活を描いてみたらどうなるだろう?この映画では直接説明されていないので、観客は法廷での証言から想像する以外方法はないのだが、妻は恐らく自己を喪失し始めていたのだと思う。家庭、と言う縛られた家庭で、自ら与えられた役割をこなすだけの生活。夫は仕事場で重役に昇進するかもしれない、と言うほどのやり手。

自分だって社会に出ればバリバリの高給取りになれる(実際、法廷での証言から、彼女の給料は夫とさして差はなかった)。それなのに、夫は自分の話を聞こうともせずに、たまに話を聞いたと思えば、自分の事を小ばかにして、「教育費すらも稼げない」と断言する。

そうやって縛られた役割にずっと居てあなたは耐え切れるか?それが結婚?

確かに俺は現在16歳高校二年生。結婚生活の何一つ分かっては居ない。

だが、脚本の良し悪しや、演出力とかそういう問題を抜きにして、「一つの家族」として考えてみて欲しい。

俺が思うに、この映画を見て「妻=自分勝手」だと言うのは少し違うと思う。俺も確かに映画を見終わった時に思った率直な感想は「妻は身勝手だ」だった。だが、それはあくまでこの2時間と言う尺の中で描かれたのが、たまたま夫が中心の物語だったからではないだろうか?

妻が中心の物語を描いたとしよう。縛られ、孤独で、そして狭い世界から飛躍したいのに錘が足についていて思うように飛び出せない。夫は家庭を顧みずに仕事一辺倒。家に帰ったら飯食って寝るだけ。

そんな女性を主人公に描いていたとしたら?

確かにわがままかもしれないし、俺も多少なり理解し難い面もあるが、縛られた役割の中で一生を終えたくない、と思っている人も多い筈だ。

だからこの妻は別にわがままではないと思う。強く断言は出来ないが(息子と捨ててある日突然戻ってきたり、等々)。

で、ここまで書いて作品に関する話になるのだが・・・(もういいって?いや、まぁついでだから読んでって下さいよ)。

直接的な描写がなかったので、「妻が出て行く」前の夫の事は詳しくわからない(ので、上記の事もはっきり断言はできない)のだが、彼が少しずつ家事に慣れ始め、息子に対する考え方も変わっていく(例えば、最初、息子が居間でジュースをこぼして怒るシーンがあった。だが、別のシーンでは居間に牛乳の入ったコップが置いてあった。恐らくあれはミスではなく、演出だと思う)。

上告させる、と言った時に弁護士が息子を証言台に立たせる、と言うと即答で「ならやらなくていい」と答えた所にやはり愛があるのだろう。

で、しつこいようだけど、(劇中では)身勝手に見えた妻でもやはり息子に対する愛情はあったと思う(そりゃ置き去りにして「やりたい事」をやった挙句戻ってきた女にあるのか、といわれたら困るから断言しないけど)。

良い話です。

でもあのラスト。

確かに悪いラストじゃないし、むしろ良い終わり方だと思う。

だけど、この映画、2時間で語りきれる話だろうか?

現在では「女=家庭」と言う考え方が薄れ始めているので、この様な映画は「過去の産物」かもしれない。だけど、一人の男が「夫」になるまで、一人の「主婦」が「女」に戻るまで、と言うのだろうか・・・そんなに簡単な話じゃないと思う。

それに、これは夫主体の物語だ。だからラストはあの終わり方で納得できた物の、やはり何かひっかかった。

そう、この映画では妻があまりに身勝手に描かれすぎなのだ。ラストシーンのその後を想像すると「妻はその後家庭に戻る」「息子は夫の元に残る」のどちらかだと、思ったんですよ。でも、裁判が終わった状態で、しかもここまで成長(?)した夫の事だから三人一緒に暮らす事になると思う。例えその後三人は仲良く暮らしました、と言うオチになったとしても、やはり夫主体の物語なので「なんて身勝手な女だ!子供捨てて出て行って戻ってきて取替えして、挙句もとの家庭に戻るだと!?」と思ってしまう。そう思わざるを得ない。

ここがこの作品の最大の失敗だと思う。

何度も何度も何度もいうけど、子供を捨てて「利己」に走った女は身勝手じゃないのか!?て反論されても困るので断言はしません。実際、俺も子供を捨てて出て行く(挙句戻ってくる)行為に対しては嫌悪感を抱きました。だけど、それまでに観客が彼女に感情移入していたらどうでしょうか?そりゃ感情移入してれば子供を捨てるのに納得できる訳じゃありませんが・・・。

そうすればあのラストシーンはもっと納得の行く物になったと思いますし、これ程まで鑑賞側も嫌悪感を抱かずにあっさり見れたと思います。

良い作品ですが、妻に関する物語が希薄すぎで、別の感情を生み出して映画全体が歪んで見えてしまいました。っていうか、正直言わせてもらうけど、この映画って脚本下手糞だろ?違うか?

もっと上手く描けば妻にも夫にも感情移入させることが可能だったのでは?

ので、★3

―――――

正直、このレビューを書くのは何か気が引けました。子供を持っても無い、まして結婚もしても居ない俺が書くべき事じゃないと思ったので。

ので、苦情でも何でも送ってください。待ってます(ウィルスとか変なのは待ってませんが)。

ただ一応、俺はレビューを消さない主義なので悪しからず。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)Kavalier[*] けにろん[*]

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