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[コメント] レディ・イン・ザ・ウォーター(2006/米)

映像からシャマランらしさがずいぶんと薄れていた。これが一番の魅力なのに。「予算60億円!」という話を聞いたときから不安を抱いていたが、やはり彼の才能は低予算で花開くのか。
空イグアナ

シャマラン映画の魅力の一つは、そのオカルティックな世界観である。彼の映画はホラー映画やファンタジー映画というより、オカルト映画と呼ぶのがふさわしいだろう。

そして最大の魅力は、その凝った映像づくりである。

それはとても静的である。派手なアクションもなければ爆薬も使わない。そして構図にこだわっている。

サイン』でCGを使ったときも、実に地味な仕上がりであった。『ヴィレッジ』の内容が「19世紀の村が舞台」と聞いたときには、大がかりなセットを使った超大作になるんじゃないかと不安になったが、実際に仕上がったのは閉鎖的でこぢんまりとした映像であった。

つまりカメラをうまく使う人である。ミニチュアや、アクション、爆薬などを使って、カメラの向こう側に凄い物を作り、カメラはただ回しているだけ、というのとは違う。 カメラという道具を最大限に生かして映像をつくる人なのである。もともとある風景を最大限に生かして撮る人なのである。そもそもカメラとは、そこにある風景を切り取る道具なのである。

彼の映像は、何かの物越しに人を映す構図が多い。手前に物、その向こうに人という配置が奥行きを持たせている。『アンブレイカブル』の冒頭で、列車の座席越しにブルース・ウィリスを撮った映像が印象的だが、ああした構図は他にも随所に見られるものである。あるときはブラインド越しに、あるときは柵越しに。『シックス・センス』の冒頭からしてワインの棚越しにブルース・ウィリスの奥さん役のオリビア・ウィリアムズを撮っているのである。

ところが『レディ・イン・ザ・ウォーター』では、そうしたシャマランらしさが薄れていた。もちろん目を凝らせば、あちこちにそうした部分を見付けられる。オープニングのネズミ退治を見たときには、期待が膨らんだのである。ネズミは写さず、格闘するポール・ジアマッティだけを固定カメラで撮る。これぞシャマラン流なのである。(このオープニングですでに、観客席からは笑い声が聞こえていた。こうした、ギャグのか真面目なのかわからないところが好きだ)他にも、一つのアパートを舞台に限定しているところや、俯瞰ショット、階段をひたすら昇っていくシーンに見る、踊り場ばかりをしつこいまでに繰り返し写す手法、ガラスに映るスクラント、登場人物の洒落た台詞(と言っても、こんな気取り屋がいたら嫌だなあと思うような、ハズしたものも多い)などに彼らしさを感じる。

しかし、映画全体を見渡すと、こうした映像は、ほんの一部である。スクラントやタートゥティックも、CGを堂々と使ってはっきりと姿を現す。

カメラマンがタク・フジモトでなくなったからだろうか。

やはりシャマランの魅力的な映像の原動力となっていたのは低予算ではないだろうか。そしてそれは、子供の頃からカメラを回していたからこそ培われたものだと思う。彼のDVDには、毎回、彼が子供時代に撮った稚拙な自主製作映画が特典映像としてついてついてくるが、子供が映画を作ろうとしても、お金も使える機材もわずかだ。当然、手近にある材料と、もともとある風景を利用して、あとは構図を工夫するしかない。

シャマランは作家性を感じさせる監督である。その作品はまさに、独特の雰囲気を持った「シャマランワールド」である。だから失笑するような場面や矛盾点すら魅力的に感じてしまうのだ。映像が平凡になった『レディ・イン・ザ・ウォーター』は、「シャマラン・ワールド」というより、ただのつまらない映画に近づいていた。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)Orpheus ジェリー[*] すやすや[*]

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