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[コメント] 普通の人々(1980/米)

構造がしっかりしているので、ラストが深く心に響く。
ナム太郎

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







人は、自分の居心地のよい場所を求め、自分なりのテリトリーと心通い合う人との人間関係を築こうとし、できればそのような限られた空間の中で、平穏に暮らしたいと考えるものだ。そしてその理念が保てない要因が表れたときには、少なからず悩んでしまうものである。悲しいかな、それが例えば家族の一員のような、容易に切り捨てることができない者であればあるほど、その悩みは深くなってしまうものである。

母・ベス(メアリー・タイラー・ムーア)は、必要以上に手のかからず真面目な次男・コンラッド(ティモシー・ハットン)よりも、手はかかるが喜怒哀楽をはっきり示す長男・バックと過ごすほうが居心地がよく、彼の存在によって家族の中での自分の存在意義を認めていたのだが、それはバックの死によってあっけなく崩れ去ってしまう。加えて我が子ではありながらも自らの本能が興味と関心を示さないコンラッドについては、彼の自傷行為からの回復を親として見守る以前に、どうしてこんな子が自分の子なのかとも言いたげな反応すら示してしまう。

また、父・カルビン(ドナルド・サザーランド)も、長年「家族」を、それこそが自分のテリトリーと信じていながらも、心のどこか奥底に、えも知れぬ違和感を感じながら悩み続けてきた男である。そんな彼も長男の死を契機に、自分が夫や父という存在を演じていたに過ぎないことに気付いてしまう。

そのような中、一見「普通の」「幸せそうな」家族に見えたジャレット家は、いとも簡単に崩壊の一途をたどってしまう。しかし、それを最後の最後、踏みとどまらせるのが、家族や友人の愛に支えられ、自らの存在価値を再び見出すことができた次男・コンラッドであるという構造が、まずは本作を芯の通った秀作たりえているというふうに思った。

加えて称えるべきは、これが第1作とは思えぬほどに達者な心理劇演出を司るレッドフォードの監督としての力量である。

これは公開当時も盛んに叫ばれたことだが、彼の演出は、どちらかというとヨーロッパ映画に近いような趣きがあり、それが当時のアメリカ映画としては珍しがられた。ましてやそれを演出したのが、かの大スターレッドフォードであったという事実は、秀作揃いではあるが、比較的地味な印象のあったオスカーレース(対抗馬は『レイジング・ブル』と『エレファント・マン』だったと思う)に華を添えるに十分なものがあった。かくして本作と彼は見事にオスカーを受賞したわけだが、そういった話題性を抜きにしても彼の繊細な演出が充分に称賛に値することは、何より本作をこの目で見た観客である私たちが実感として捉えることができるものであろう。特に「カノン」の印象的な使い方は、長年映画を音楽をも意識して見てきた者でないと配せない見事さ、この1曲の使い方で本作の価値もグッと上がったと言っても過言ではでないと思う。

最後の最後に蛇足だが、本作で見事な演技を披露し、今後のホープと期待されたティモシー・ハットンが、息長く活躍しているものの、脇役的存在に甘んじていることだけは残念でならない。個人的には例えば近年のケビン・ベーコンのように、印象的な渋い脇役としてのより高い地位を確立してほしいと思っているのだが、どうだろう。

(評価:★4)

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