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[コメント] ローズ・イン・タイドランド(2005/カナダ=英)

駄作だろう。キャラクターの魅力のなさを陰惨さと偽り、現実を「直視」する少女という設定にかこつけて箱庭的絵空事を「現実」だと言い張る図々しさ。画面で何が起ころうと、我々が作品世界に絡み取られる危険はなく、少女は一人取り残される。(2011.10.31)
HW

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ある意味、明瞭な、もっと言ってよければ明晰な映画とは思う。少女の自己完結した世界を徹底してその少女の論理に沿ってのみ描く、という意欲的な試みだ。映画の外の基準を持ち込めば、「悲劇」であり、「残酷」であり、「インモラル」であるとも受け取れる一連の出来事が、少女の眼にはそうでない。実際、それと分かるかたちでしか夢のシーンは挿入されず、この企みに何の混乱も矛盾もない。

 しかし、あるのは終始それだけの話で、映画のなかの一エピソードならともかく、テリー・ギリアムともあろう人がいまさらまるまる一本通してやるような話かと思う。少女にとっては、初めからそういう世界なのであって、映画のなかでなにか反転が起こるわけではないし、逡巡や決意の瞬間があるわけでもない。入り口も出口もない、ひたすら自己完結するだけの作品世界。疾走し過ぎたあまりに周回遅れをやっているような、奇妙な印象を受けた。映像も仰々しくって疲れるばかり。ハッとするようないくつかの場面も全編通した異様なほどの単調さに埋もれてしまっている。

 気にかかるのが、少女が指(首?)人形と会話をするという設定。少女は終始「演技」をしていて、自分が「演技」をしていることも知っている。これは、実のところ、人形たちに対してだけではなくて、父親の死体に対しても、それどころかディキンズ(ブレンダン・フレッチャー)に対しても言えることなのではないか。発作を起こして倒れる彼を助けようともしないところを見ると、少女は人形に見せるのと同じ愛着と冷酷さで彼を扱っているようにも思える。恋心的な素振りを人形相手に打ち明けても、画面にそれらしい高揚感はうかがえない。

 結局、少女の行為すべてには表層のレベルしか与えられていないのだろう。少女自身、表層以上のものを持たないようにしているかのようだ(画面に一切の感情を与えないこのフラットなタッチはジョデル・フェルランドの演技ともども完成されたものであろうが、繰り返せば、恐ろしく単調だ)。これを、少女を傷つくことから守ろうとする優しさと呼んでも、葛藤の可能性すら与えようとしない冷徹さと呼んでも、あまり大差はないだろう。そういうところは確かにどこまでもギリアムらしい。しかし、今回ばかりは、愛するが故に突き放す、突き放すことによって愛する、そんな彼の偏愛が、私にとって「どうでもいいや」という他人事のままに終わってしまった。少女を取り残し、観客を取り残す、そんな映画作りに敬意を抱く場合もあるが、これは外れである。

(評価:★1)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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