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[コメント] UNloved(2001/日)

(会話劇というよりは)剥き出しのセリフショー。(レビューはラストに言及)
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







男からしてみれば、女にとりあえずのたしなみを教えたかっただけなのかもしれない。本当の女性の魅力はそこからはじめて発揮されると考えていた男からすれば、彼女をただスタート地点にあげたかっただけだったのはないだろうか。

だが、その女にとっては、そうした男の行為は自分の一番大事な尊厳の部分を奪う行為であった。女は、自分のリズムに合ったもう一方の男を選ぶ。

しかしながら、もう一方の男からすると、そのままでいいと言ってくる女の存在は、以前女が男に感じていたことと結局同じものになってしまった。もう一方の男は、そんな女を独善的と感じ責めさいなんでいく。

三者がお互いをなじる言葉は、本当に自分が思っていることをそのまま吐き出しているという意味で、的確に相手の真実の一部をついており、だからこそお互いを的確に傷つけていく。その間、三者が歩み寄ることはなく、話せば話すほど、言葉を発すれば発するほど、お互いの距離は乖離し、やがて彼らは「愛されない存在」、独りになっていく。

「話せば話すほど思っていることとは違っていく」というニュアンスのセリフがあったが、そうした言葉自体も自分の立場を守るためのものと非難され、もはやいかなる発話も封じられていく。作品の後半には、言葉に対する不信感でいっぱいになった。

問題のラスト、確かに唐突であり、むしろ言葉で解決することができないのをごまかしているようにも感じた。離れてしまった心のまま抱き合うなど、都合のいい話ではないか、と。

しかし他方で、ラストを観終わった直後、切り刻まれた内心が救われたような思いがした。しばし空を見る。言葉を越えるものの存在、その存在が内に入り込んでいくことで、再び言葉は力を得るのかもしれない。そして「選ぶ」という言葉が再び登場する。展開は陳腐だったかもしれないが、そこでの言葉には力を感じた。微妙な作品。

*いくら相手のことを考えていないという側面を強調するためとはいえ、冒頭の仲村トオルの棒読み口調と「ーなの」という語尾連発の森口瑤子のセリフまわしには辟易することしきりだった。

(評価:★3)

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