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[コメント] M(1931/独)

罪と罰。それを超越していいのかどうか。
マグダラの阿闍世王

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







犯人探しで終わるかと思ったら、その先があった。

ラスト。どっちつかずで当然かな。うーむ、考えさせられました。

女児連続殺人犯。それだけなら、裁判も簡単だった。が、 精神薄弱による殺意なき殺人だという。

許せない被害者たち。死刑を望む。 一人も更生してほしいとは言わなかった。

罪と罰のセットは人間が作り出した観念。 殺人行為は本能ではない。 動物は身の危険には防衛反応はするが、復讐の念は抱かない。

刑罰。---------------

・加害者自身が刑罰を受けることで更生、懺悔することが期待される。

・被害者が刑罰で加害者が苦しむのを想像していくらかはすっとする。

・刑罰があることで犯罪抑止になる。

精神薄弱だと、刑罰は被害者の復讐の代行行為効果のみ?

精神薄弱者にも刑罰を適用、とすると、精神薄弱者は、 自覚なく犯罪を犯したら・・・ と思いながらびくびく暮らすしかなくなり、 ますます精神が薄弱する悪循環。

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』では、男が女児ばかりを・・・という設定。 女が男児を・・・ではない。

精神薄弱者も自分の性は自覚あるということ?

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警察でなく、自分たちで犯人を捕まえ、処刑しようとした。すごい。 でも、大昔は、それが当り前だった。復讐連鎖の悪夢を避けるための 人類の過去からの学習の成果で、法律、警察ができたということか。

考え過ぎか。

単純にみなさんも『』になるかもしれませんよ、 ということかな。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)モモ★ラッチ[*]

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