コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 戦争と貞操(1957/露)

 眩しい朝の光が溢れる冒頭から、次第に影が重なっていく中盤、その変化にドキドキした。静かに忍び寄る銃後の狂気。
にくじゃが

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ボリスとの別れのシーン、些細なことから会えないままのふたり。戦争という大きな物語に飲み込まれるふたり、同じような周りの人々の声にかき消され届かない呼び声。待てども来ない手紙、募る不安。いとこに襲われるところの顔のアップ、ゾッとした。怖かった。抵抗できないほど強い力で無理矢理というのが伝わってきた。誰にも話せず、ひどい女だと責められる彼女。これは辛い。

 『シェルブールの雨傘』が音楽でもってロマンチックに切なさを盛り上げたのに比べて、いろんなカットでじわじわと責めさいなんでいく(ボリスの走馬燈はちょっと長いなあと思ったけれど)。暗く閉じた表情の彼女、戦争中は濃い色の服を着ていた彼女、ボリスの死を信じない彼女、そんな彼女が出迎えのときに着ていた服は明るい色だった。もしかすると白かったのかもしれない。花嫁になるつもりだったのかもしれない。

 でもラストにずっこけた。大幅減点。スターリンの死後四年、1957年でもソ連ではこれが限界だったのだろうか。ああぁ。

**余計な解説**

 第二次大戦後1948年、ソ連ではスターリニズムの下映画も含む芸術に対して凄まじい弾圧が加えられた。その結果、1951年に制作された劇場用映画はたったの8本。しかもその中には舞台劇をそのまま映しただけの演劇映画なんかも含まれていたらしい。今のところその8本はすべて日本未公開。

 1952年の共産党大会で“芸術に対する不首尾”が取り上げられ、その後制作本数は増えた。また、1953年のスターリンの死が映画界にもいわゆる“雪解け”をもたす(まあ検閲はあるんだけど)。ソ連映画で“普通の人びと”の“個人的な生活”を描くことや特権階級の生活”を細かく再現することなどが可能になった。

 1957年生作のこの『鶴は翔んでゆく(日本初公開時は『戦争と貞操』)』は“普通の人びと”である一人の女の“肯定的な手本”とはなり得ない物語を描いたことにより、当時のソ連の人々に衝撃をもたらしたらしい。カンヌでグランプリを取っているようなので、ソ連以外の人びとにも衝撃をもたらしたらしい。

参考:『ソヴェート映画史 七つの時代』 ネーヤ・ゾールカヤ著 ロシア映画社

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。