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[コメント] 禁じられた遊び(1952/仏)

ナルシソ・イエペスのギターは美しいが、映画の中で描かれる大人たちは全く美しくない。人間の卑劣さを幼い子供の純粋さと対比して浮き彫りにしている。
Keita

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 叙情的で美しい音色を奏でるナルシソ・イエペスのギターを聴くと、一見「死」について扱った映画には見えないのだが、静かなタッチの中でしっかりと「死」について見つめている。実は、ギターのメロディが美しい分、映画の悲惨さも際立つ。

 冒頭から徹底的に「死」を突きつける。全く容赦がない。ポーレットの父母がミサイルに撃たれるシーン、何気なくミサイルが背中を突き抜けているが、その何気なさが残酷だ。ポーレットが横を向いたら、そのときには親はすでに息絶えている。ひとりになったポーレットを台車に乗せたおばさんも死んだ犬をゴミ同然に扱って橋から川へ投げ捨てる。この時点で、平和な生活時とは違った精神状態となる戦火の人々を描き出している。

 そんな戦火という状況の中で、ミシェルとポーレットというふたりの子供の心の純真さが、大人との対比によって浮かび上がる。ポーレットはミシェルの兄の死よりも、十字架を使って自ら埋葬をするということで「死」について学んでいく。ミシェルはポーレットの親に叱られることを承知でたくさんの十字架を盗んでくるが、その行為自体もたとえ盗みとはいえ、純真な心に基づくもの。子供たちを叱る大人の姿が、逆にその純真さを失った悪者のように映る。

 大人たちの行為の卑劣さは終盤でさらに露呈される。隣人との憎しみ、子供に対する裏切り、こういった大人のやり方が、映画の背景となっている戦争を生んだというルネ・クレマンのメッセージを納得させる。大人は、いや、幼い子供ではない僕が言うならば、人間は汚いのだ。それは第二次大戦下でも、今この時代でも変わらない。

 汚い人間たちの中、幼いながらの怒りで十字架を投げ捨てるミシェルの姿と、孤児院に預けられる哀しさに満ちたラストシーンのポーレットの姿が、映画と同様に静かに印象を残す。

(評価:★4)

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