コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 赤ひげ(1965/日)

おまえはバカだ!
新町 華終

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画の原作、山本周五郎の「赤ひげ診療譚」が執筆されたのは昭和33年。 黒澤明によって本作品「赤ひげ」が公開されたのが昭和39年。 折しも昭和36年に「国民皆(かい)保険制度」が導入され、誰もが安価に、世界的にも水準の高い日本の医療技術を平等に受けられる時代が始まった。

そして近年。医療財政破綻の危機を迎えて、日本もアメリカに倣う形で「自由・混合診療」の声が高まってきている。現行では、保険負担が国の財政を圧迫する以上、例えば難病に対しては高価な高度治療の選択枝を医師が取りづらい。それに対して「自由・混合診療」になれば、お金さえ出せば誰でも自由に病院であらゆる高度な医療サービスを受けられるようになるという。それはつまり、逆に言えば貧しい者にはその機会が与えられないということだ。

小石川養生所が作られた江戸時代中期は、都市化と共に貧富の差が激化していたと云う時代。医療費は高騰し、医師の数は余っていたが、貧しいものはその施しを受ける事はできなかった。そこで時の将軍・徳川吉宗が目安箱の上申を聞き入れ、病気から人々の生命や生活を守るのも将軍の仁政であるという思想から小石川養生所は作られたという。さて、貧困はこれから先の時代でさえ人の生命の価値観を変えることがあるのであろうか?そして貧しい人間は貧しい人間を踏みつけることで生き延びていくしかないという事実は、何時の世も変わりないのだろうか?

コミカルさが練られた巧妙な脚本の中で、あっという間に過ぎてしまう3時間。

保本加山雄三の成長記録は、医療人のエゴに本当に当てはまる。あらゆる病苦の前には医学的知識などほんの1〜2割の手助けにしかならないのだ。

「現在われわれにできることで、まずやらなくてはならないことは、貧困と無知に対する闘いだ、貧困と無知とに勝ってゆくことで、医術の不足を補うほかはない。」

かつて戦時中より富国強兵のために提唱され、昭和36年にようやく実現された「国民皆保険制度」。そして確かに日本は強くなった。貧困と無知も他の諸外国に比べれば雲泥の差と言ってもいい。医療の発展・・・ひいては一人一人の幸せのために多少なりとも夢と希望を込めて描いた山本周五郎黒澤明の願いを考えると、現在のこの医療財政の危機的状況はいくらか予見できたとしても、無情のものに思えてならないだろう。だからこそ新たな歯がゆい貧困問題の発生は「時代の無常さ」と言ってもいい…。

「あらゆる病気に対して治療法などはない、医術がもっと進めば変ってくるかもしれない、だがそれでも、その個体のもっている生命力を凌(しの)ぐことはできないだろう、医術などといっても情けないものだ、長い年月やっていればいるほど、医術がなさけないものだということを感ずるばかりだ」

医療とはすなわちヒューマニズムを体現する行為に他ならない。たとえ「偽善・欺瞞・エゴ」と罵られようとも、生命を守る「行為」は果てない闘争であろう。そしてこの赤ひげのような謙虚さを、ルーティンワークの中に身をやつす医師でさえ、いや、『白い巨塔』のような権力闘争に身を捧げた医師でさえ、誰もが胸の奥底に秘めていたには違いないのである。

医学の進歩と言えども難病は後を絶たない。現代においてもこれぐらいの畏怖の念と謙虚さ、そして諦めにも似た割り切りがなければ、医師と言う職業はもっぱら過酷過ぎる。しかし、自らが情けない存在であると自覚するからこそ「人間宣言」をして世俗を謳歌しようとする医師も多い。

「治って当たり前」。生活習慣病や交通事故、地理を超えて爆発的に広がる伝染病など、生活が豊かになる一方で、病気や怪我一つで転落者となるリスクが増した分、生命力とのしのぎ合いは熾烈さを増すばかりだ。

映画では幸いにも一命を取り留めた長坊であるが、原作で死んでしまう。生き残った親のおふみはこんな強烈な台詞を吐く、

「子供たちが死んでくれて、しんからほっとしました・・・。こんな事言っては悪いかもしれませんが、どうしてみんなは放っといてくれなかったんでしょう・・・。放っといてくれれば親子一緒に死ねたのに、どうして助けようとなんかしたんでしょう・・・なぜでしょう先生・・・!」

翻(ひるがえ)って、現代の某救急救命センターの医師の話・・・深夜、バイク事故で担ぎ込まれてきた重症の少年。後ろに乗っていた一方の子は即死していた。目撃証言もありどう見ても彼の運転であったにもかかわらず、親の強烈な台詞…

「ウチの子が夜中にバイクを二人乗りして事故ったなんて嘘です!先生、どうかウチの子がバイクの後ろの方に乗っていた事を証明できませんか・・・!?」

.

・・・それでも、4年前にこの作品に出会えてなければ、僕はこんな責任ばかりが大きい医療系職種など選んではいなかっただろうと思う。(医療関係もいろいろありますが…)

「人生を変えた一本」というと大袈裟かもしれないが、「迷いを断ち切るための一本」にはなったと思う。この情に薄く混沌とした現代(いま)という時代でも「赤ひげ」なんて必要ないというのは決して嘘だ。そしてこのイデア(理想像)が存在する限り頑張れると思っている。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)水那岐[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。