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[コメント] 怪獣ゴルゴ(1961/英)

よく頑張っている、とイギリスには賞賛の声を送りたくはある。しかし、我々はポルノにも浪漫の香りを寄り添わせたい民族であることを再認識させられる。これは骨組みであり、怪獣映画の青写真だ。地には花、人には愛が欲しい。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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着ぐるみ怪獣という慣れない(?)方法を使って、スタッフはかなり奮闘している。それは認める。ロンドンブリッジの場面などはわくわくさせられたし、プロポーションは不細工な怪獣親子もロングで火の海と化したロンドン市街にあってこの上なく映える。だが、やはり自分は伊福部昭に匹敵する音楽家の不在を、大きく感じさせられてしまうのだ。情緒こそが日本人観客を納得させる、唯一無二の作劇法である、ということ。いい絵は撮れていても、そこは残念至極、自分は蚊帳の外にいる己を否応なしに感じ取る次第なのだ。

女性が存在しないこの舞台は、それだけで寂しい。たぶん『キング・コング』のごとき怪獣との接点がないゆえの不在なのだろうが、マッチョにして強者の論理で歩き回る男たちにはそれに代わる感情移入を持ち得ないし、唯一の普遍的存在であるショーン少年は男たちの信念を揺るがすほどの影響力は持ち得ない。そこはやはり論理を重視する国の映画だ。だからこそゴルゴには、模倣作『ガッパ』に見られる愁嘆場は用意されず、親子は理性的に人間社会には目もくれず故郷へ帰ってゆく。ゴルゴのために泣く人物はいない。それが他のクリーチャー(=被造物)への人類の思い、というところなのだろう。ゴジラのような神獣は欧米には根付かない。それは仕方のないことだが、やっぱり寂しいことだ。

だから、もうじき創られる米国版リメイク『ゴジラ』への期待のなかに、ウェットな作劇を含めてしまう日本人は自分以外にもいるだろう?と、感情の押し売りをしてしまう自分ではあるのだ。

(評価:★3)

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