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[コメント] ラ・ボエーム(2008/独=オーストリア)

どうした理由か、オペラ『ラ・ボエーム』の録音を使用し、場合によってはキャストとは別の演技者に演じさせながら、この映画作品は補完されている。それは場合によっては思いがけぬエロチシズムを生みながらも、この作品をキメラのような奇怪なものに異化させる効果を生み出している。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







最初、この試みを知ったときには「一般的映画俳優がオペラの録音にあわせて演技する」というものかと思っていた。なるほど、それでは無理がありすぎる。事実は別のオペラ歌手の演技をもって吹き替えに当てるということであった。

例えば、腹の底からのアリアを朗誦した直後に、キスを相手の素肌に這わせる、という場面がある。これはオペラでは無理がある演技だ。オペラは直接的演技よりは、感情を動作に合わせる多分に大仰な演技を特徴としており、そしてそれにも増して歌が感情を表す第一の道具だからだ。しかし、ここではオペラは解体され、再構築されている。ゆえにセリフは歌詞以上の意味を削ぎ落とされ、セリフが意味しない行動を登場人物はとったりもする(ミミは蝋燭の火が消えてしまったからとロドルフォの部屋を頼っていくが、この作品では最初からミミは彼を訪ねるべく蝋燭の火を消している)。これはそれゆえにドーンヘルムの『ラ・ボエーム』であり、ラストシーンのミミの死もそれを他者の反応からではなく、映画の文法の上にそれを絶対の事実として描き出している。ここにこの作品の面白みはあるのだが、なおかつ弱点とも看做される。例えば歌舞伎をモチーフとした劇映画は数多いが、そこから歌舞伎の長所と弱点をはっきりと見据え、立派に映画として再生させた作品ばかりではない、虚しく歴史の塵と消えた作品も多々あるのだ。それゆえに、これは冒険である。

自分の見る限り、この「リアルオペラ」は残念ながら敗北しているように見えた。セリフのみで語らせるべく、病魔に冒されたミミはロドルフォの不実を嘆くのだが、それがミミを医者に見せることも出来ないロドルフォの愛情の裏返しであると語るのは、他ならぬ歌でありそれ以外の前兆を伴わない。自分は大筋は知っていたのだがこれには不親切さを感じた。いったい脚本第一主義を貫くなら、映画としての演出に垣間見える自己主張は何なのか。黒目のかかれていない達磨に、最初から黒目を書き入れるのと何処が違うのだろう。

これは映画として決して質の悪い作品ではないが、いちいち新しさに「見える」蛇足部分が気になる作品であることは否めない。

(評価:★3)

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