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[コメント] 「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択(2021/日)

凄まじい旧作ファンの罵倒に傷つけられたわが心を癒す、といった目的でか、これまた凄まじい言い訳をもって対抗せんとした『2202』スタッフの足掻きはそんなに無駄ではないように思えた。だが、所詮はよくできた言い訳もまた言い訳でしかないのだ。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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2202』に駄作のレッテルを張り攻撃をやめない人々、すなわち『2199』というリメイク版第一エピソードを支持したファンの心は、また俺もそれに近いゆえに理解できるつもりだ。端的に言ってみれば、『2199』は群像劇だった。それはヤマト旧シリーズの没落と時を同じくして、ファンがその共感を移動させた『機動戦士ガンダム』第一シリーズを支えた性格だ。

ガンダムの主人公も逡巡し、悩み、彷徨した。それを主人公が脱却するのはつねに人との出会いゆえだった。敵味方老若男女を問わない人との接触だ。でも彼はそれまでのヒーローのように救われて急成長するのではなく、最後まで人と出会いかれらとの接触から活路を見い出した。ヒーローが自分だけで正義を体現する物語は判りやすいが、往々にしてスケールは小さくなり独善的になる。『ガンダム』は群像劇たることで子供向けの活劇であることを脱し、物語のスケールを大きく広げファン層を広めた。そんなガンダムを支持しつつ、胸のなかに抱えた『宇宙戦艦ヤマト』を捨てきれなかったオタクの中に、『2199』の監督出渕裕がいた。彼と同じ思いをもつスタッフとの協力によって作られた「群像劇であるヤマト」『2199』は佳作となり、地球人の仲間のみならず敵国人のさまざまな人物のキャラが生き生きと描かれたことで支持を集めた。ああ、なんという「縁」の素晴らしさだろう。

そうとも、「縁」とはこの作品の『2202』パートで頻出していたキーワードだ。俺の言うまでもなく「縁」は『2202』世界のキャラたちを支配し動かした原動力だが、同時に「言い訳」の最たるものだ。『2199』で作品世界を大きく広げ、自慰的なこだわりを取り払った「縁」というものを、『2202』でキャラデザインを除けば総入れ替えになった新スタッフは便利な道具に貶めてしまい、『さらば宇宙戦艦ヤマト』以後の矮小化した『ヤマト』に戻してしまった。「古代進」や「デスラー総統」がつねに舵を取り、既知の世界で大暴れするだけのヒロイックストーリーに戻したのだ。そここそが『ヤマト』や『ガンダム』の価値にかかわる鍵だったというのに。忘れてならないのは、ヤマトを律していた「タイムリミット」は決して作品を身動きできぬまでに縛り上げていた鎖ではない。ヤマトクルーは厄介なくびきに従いつつも、ときに宇宙の美しさや驚嘆すべき出来事に心を動かしていた。そのパーセンテージは、ヤマトが愛の押し売り戦艦に堕した後期シリーズの頃よりずっと高かった。純粋に宇宙の旅に感動することで、初期ヤマトクルーはSFマインドを刺激するサムシングを沢山抱えていたのだ。そしてそれが、主人公らの人間の幅を広げ、最終的に人々と理解し合える器の大きさをもつ人間に育んだのだ。

そんなわけで、今後のリメイク『ヤマト』が「古代、デスラー、雪」の「ご存知路線」に巻き戻されてしまった結果、もう旧作と同じ轍を辿り続ける今後は見えたも同然だ。ガミラスという宇宙の一大文明を滅ぼして安易な英雄譚に没することなく、そこで和平と協力の関係を結ぶきっかけを作ったにすぎない非力な一戦艦の物語こそに、ファンは今現在の主人公のあるべき姿を見い出したというのに。せっかく『星巡る方舟』で出渕裕が「ガトランティスのいま面白くできる切り口」を提示したにも関わらず、それを無視することで敵は「人智を超えた悪の帝国」の性格を帯び、あげくはヤマトに滅ぼされることでしか意味を見い出せないスケールの小さな存在に堕してしまった。大帝ズォーダーは古代と対等に話す程度の小者でしかなく、その他の部下たちは「手下その1、その2」でしかなくなってしまった。唯一面白いのは帝国勃興期より連綿と続くクローンによる武人の代替わりだが(BL好きの女子の二次創作にはいいヒントだろう)、これは帝国よりは少人数の組織でこそ生きる設定にすぎない。やはり「ジオンに兵なし」ならぬ「ガトランティスに兵なし」と言ってしまえる所以だろう。2202はやはり再見には値しない。

それでも、次作『2205』の予告フィルムは面白い見せ場をずいぶんと抱えているので、俺はやはり観てしまうのだろう。結局もっといいスタッフが入らないことには「やるやる詐欺」でしかないのだろうけれども。ヤマトの艦隊戦の魅力を理解せず、自分の好きなSFパターンをごり押しした副監督小林誠の解任は賢明だったが、代わりに有能なスタッフを連れてこられるのかどうか。不安ではあるが、もう「お布施」は払わない極めてライトな観客のつもりなので、気持ちは軽い俺ではある。

追記。「銀河」というヤマト級2番艦が出てくるのだが、それに女性クルーしか乗っていない理由を俺はスタッフの助兵衛根性ゆえかと思っていたが、実は非常時に子孫を残し得るためだと知ってびっくりした。もちろんそれはパワハラ理論なのだが、唯一の「女の艦」がそういう性格を帯びていた事実に驚いたのだ。あるいは「女ばかりの艦なんてそんな歪んだ思想のもとでしかあり得ないよ」という2202スタッフの皮肉かとも思えたからだ(言うまでもなく、『2199』では女性クルーが大幅に増えている)。どうかそんなことでないよう祈っている。

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