コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 悲しみは空の彼方に(1959/米)

観終わって心に引っ掛かったのは、何故ラストをあんな形にしたのだろう?―延々6分も使って―だ。どうしても美しいローラ(とスティーヴのこと)にずーっと目が行っていた。そこでタイトルのことを考えた。
KEI

原タイトルは「にせ物の人生」だ。サラジェーンはそのものだし、ローラも「結局むなしい、何かが足りない」と言う。では反対に「本物の人生」を考えた時、アニーかと気付いた。本当の主役はローラではなく、アニーではないのか。

そう考えるとアニーの為に6分も使うのが分かるし、ローラ(とスティーヴ)の話とか、スージーも遠方でどうなるんだとかの話も残っているにも拘らず、それらを作者があとは観客が想像してくれと言わんばかりにラストでぶった切った、のも分かるのだ。

そういえば、アニーはわたしのミンクは本物よ、と言うが、あれはローラの俳優斡旋事務所でのミンクコートは虚栄で、本物ではあったが中身のない偽物だった、と対比させているのだろう。

アニーの教会活動を通じた仲間たちとの和―最後に登場する牛乳屋なんぞは、私は殆んど忘れていたが―を考えると、アニーの人生は本当に中味の詰まった本物だったと思う。

更にアニーの人生を考えた時、「人生で大切な日は結婚式と最後の日だ」と言う彼女のセリフを思い出した。

アニーの結婚式は当然(!)無かっただろうが、相手は白人でカッコよくて、彼女は大好きだったのだろう。サラジェーンの恋人フランキー(トロイ・ドナヒュー)のような「クロめが!」という態度ではなく、いや相手は単なる性処理だったかもしれないが、抱いてくれた。妊娠もした。それを聞いて相手は去って行った(当然ながら)。故郷も追われた(だから家もなく彷徨っていたのだ)。しかし、彼の子供が生まれた。ここに至って彼女の娘への溺愛がはっきりと分かった気がした。文字通り、アニーにはサラジェーンしかいなかったのだ。

アニーが主役と言うのは、言い過ぎかもしれない―「にせ物の人生」だから。他に本作は‘メロドラマ’も(途中で切られてはいるが)たっぷりあるし 、‘黒人問題’‘シングルマザー問題’としても十分鑑賞できる。しかし作者は、アニーを忘れないで欲しいと、タイトルとラストにその思いを込めたのだろう。

もう一度最初から鑑賞し直したら(アニーのシーンのみを観るのだ!)、最後にアニーが私の傍にいてくれる、そんな気がするアニーの映画だ。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。