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[コメント] あゝひめゆりの塔(1968/日)

去年(2019年)沖縄に行き、ひめゆり平和祈念資料館を観てきた。館内にあるVTRで生き残ったひめゆり学徒たちの証言が繰り返し流されていた。正直、本作より「生の声」が伝える事実の方が数倍・数百倍、悲惨だった。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







戦争の悲惨さ、むごたらしさの描写が少な過ぎやしないか。

蛆がわく傷痕、毎日廃棄しなくてはいけない肉塊、麻酔もなしで切断される四肢。毎日毎日繰り返される日常がそれ。

傷病兵の看護にあたった学徒はみな気が狂いそうになったという。

残酷な描写を良しとする訳ではないが、僕が見聞きした沖縄戦におけるひめゆり学徒の実態が余りに割愛され過ぎている、と最初は感じた。

沖縄決戦が始まるまでは、みんな普通の教師を目指す女子生徒で、楽しいことがあれば笑い、自分や仲間が死んでいくなんて思ってもなかった。だからよく笑い、歌い、騒ぐ。

校舎や寮が爆撃で破壊されても男子生徒の集団が手助けに来れば大喜びし、目が合えば思わず微笑んでしまう。

普通の少女たちだ。

本作に悲惨さが足りないのではなく、悲惨なことは異常なことで普通のことではない。

冒頭の若者と生まれた時代が異なるだけだってことを強調したかったのだろう、と後になって思い直した。

特に、悲しみを抑えきれず次第に強く弾く和子が奏でるピアノの「ふるさと」 

銃撃や爆撃にかき消されんとする「仰げば尊し」

共に切ないシーンだ。

話は戻るが、資料館では学徒隊に動員された県内の学校は全部で21もあったと知った。

その中でひめゆりだけが有名になったのは、生き残った11名の元ひめゆり学徒たちが悲惨な事実を後世に残そうと努力した結果だそうだ。

白梅学徒隊の生き残りの女性・中山きくさんが「ひめゆりばかり取り沙汰されて、他の学徒の慰霊碑には花すら供えられない」と嘆いているVTRも館内には流れていた。

やっぱり生き残った人が悲惨な戦争の現実を伝えていこうとする努力って大切なんだな、と再認識した。

この映画もそう。

後世に伝えていかなければいけない事実を映像化したこと自体に意義がある。

ただ、できれば他の学徒たちにも少しは触れてあげてほしかった。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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