コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 泣蟲小僧(1938/日)

落ち葉の降る家の前。少年啓吉が掃除をしているロングショット。浮遊するようなカメラがゆっくりと寄る。悪くないショットだが、もっと寄って欲しい。こゝから中途半端に思う。
ゑぎ

 窓を開けて母親の栗島すみ子の登場。小遣いを渡して遊んでおいで。道で男とすれ違う啓吉。小僧、お使いか?啓吉は無視する。男は栗島の情人だ。栗島、鉄瓶かヤカンか、不用意に触ってアチチ、という場面。これに類似する演出が、このあと何度か反復される。また、啓吉は広場で凧揚げ。オフで夕飯の迎えの声がいくつか入る。空の凧が一つになり、独りぼっちになったことを象徴的に見せる。この辺りは上手い。

 雀捕りのシーン。小屋の中には雀の籠。これは啓吉が栗島の情人に懐かない象徴だ。俺はいない方がいい、苛立ったり、可哀想になったりする、と情人が云うのは素直な科白と思う。啓吉が学校から帰ってくると、雀の籠が打ち捨てられている。誰がやったか明確に描かれないが、栗島だろう。しかし、ちょっと不自然な見せ方だ。

 栗島は、妹(次女)の逢初夢子の家へ啓吉を連れて行く。逢初のところも貧乏だが、珍しく電気もガスも止められてない、みたいな会話。バット(ゴールデンバット)を買いに行かされる啓吉。その隙に、啓吉を預かって欲しいと切り出す栗島。過去にも同じようなことがあったらしい。

 逢初の夫は売れない小説家の藤井貢。このキャラいい。登場シーンでベーゴマに興じる藤井。逢初と藤井の口喧嘩では、甲斐性のない藤井が劣勢だ。逢初から、啓吉を預かることを断って欲しい、と頼まれるが、人のいい?藤井には、それができない。

 藤井に連れられて四女の市川春代の家に行く場面では「埴生の宿」が劇伴。市川の夫は絵描きか。こゝも貧乏。結局、電気代1ヶ月分、確か1円50銭をねだられる藤井、早々に退散する。市川には、灯火管制がずっと続けばいい(ならば電気を止められていることが目立たない)、と云う科白がある。後のシーンで、市川は17歳の設定だと分かる(当時25歳頃)。

 啓吉を連れて、藤井が酒場で飲むシーン。料理人に絡む藤井。酔った藤井が手洗いに立っている間に、眠っていた啓吉が目覚める。そこに流しの女の子が入って来て歌を唄う、この場面の演出はシュールだ。不経済なシーンだが、私は全編で一番いいと思った。啓吉は、オジチャンがいないので店の外へ出る。藤井は閉店まで啓吉の不在に気がつかない。さらに、捜しもせずに家に帰って寝る、というのは奇異。藤井の性格づけも分裂しているように感じる。

 この後、唐突に啓吉が尺八のおじちゃん−山口勇と一緒にいる場面が繋がれるのも、私には違和感がある。良いオジサンに保護された、ということだ。渋谷駅まで行けば、家まで帰れるんだな、と云う科白。物干し場で、箱根八里の歌を唄う。富士山が見えると云う引きのショットは良かったが。

 啓吉が、逢初と藤井の家に戻る場面の、あまり驚かない藤井も不自然に思う。今度は逢初が三女の梅園竜子のアパートへ啓吉を連れて行く。梅園も、ヤカンを触ってアチチというシーンがあり、冒頭の栗島を思い出させる。梅園と逢初の会話で、母性についての言及がある。啓吉が、梅園から誰が一番好きか聞かれて、お母さん、と云う、こゝは効く。梅園の部屋の窓から複葉機の編隊飛行を見るシーンがあるのも時代を表している。

 そして、終盤、栗島に梅園と市川で意見をしに行く場面なんかでも、栗島は開き直る。栗島がラストまで酷い母親として一貫しているのは本作の良いところだろう。箱根八里の歌と、冒頭と近似のカメラワーク(移動するカメラ)で閉じられるエンディングの余韻も良いと思う。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。