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[コメント] ぺトラ・フォン・カントの苦い涙(1972/独)

開巻前にマレーネと同じ境遇の人に捧げる、みたいな献辞が出る。これもジョークか。マレーネは主人公ペトラの助手の役名だ。クレジットバックは屋内の階段に猫が2匹いるショットで、本作も猫映画かと期待させるが、この後一切出ないのは肩透かし。
ゑぎ

 最初のシーンは、マレーネ−イルム・ヘルマンによって寝室の(というか、ほとんどこの一室が舞台だが)窓のブラインドが開けられ、ペトラ−マルギット・カルステンセンが目を覚ます場面。ブラインドカーテンの影は以降も良い効果を醸し出す。後半のカーリン−ハンナ・シグラの退場場面など。また、ベッドの下の白いモフモフのカーペットがよく目立つ。

 本作は、主人公ペトラのアパートの仕事場兼ベッドルームのような一室を舞台とし、アパート外のシーンは一切無い映画。いやそれどころか、窓外も映らないし、窓外からの視点も無い。登場人物は6人だけ、それも皆女性だ。ラストまで、ペトラと助手マレーネが出ずっぱりで、訪問者としては、ペトラの親友(?)シドニー−カトリン・シャーケが登場、そして、シドニーが紹介した若い娘カーリンが中盤同居する。その他、後半のペトラの誕生日にはペトラの娘ガブリエルと、ペトラの母親が訪ねて来る。しかし、これら人物に加えて、撮影者−ミヒャエル・バルハウスがもう一人の人物(というか主人公)と感じられる、際立った撮影の映画だ。

 カメラワークは、全編、ゆったりとした華麗な移動とパンとズームに溢れている。例えば、序盤でシドニーとペトラがベッドで会話する(ペトラが別れた夫から牛のような暴力的な性交を強いられた話をする)場面では、画面奥のマレーネにゆっくりズームしてアップにし、急にフォーカスアウトするが、右にパンすると手前にいるペトラのアップにぴったりピントの合った画面になる、なんて神業みたいなことをやってのけるのだ。これは例だが、本作は、元は舞台劇だろうが、撮影によって映画の画面を獲得し続ける作品だと思う。

 また、いわゆる劇伴は無し、既存曲がレコードプレーヤーでかかるのみだ。最初にペトラがかけるのはプラターズの「煙が目にしみる」。これでペトラとマレーネはダンスをし始めるが、すぐに早く仕事の続きをやりなさい、とマレーネは拒絶される(というか、オアズケ、って感じ)。次にペトラがカーリンのためにかけたのがウォーカー・ブラザーズの「孤独の太陽(イン・マイ・ルーム)」で、こゝのハンナ・シグラのゆらゆらダンスは彼女の見せ場になっている。カメラはいったん後退移動し、部屋いっぱい下がると今度は前進移動する。この間、画面奥でタイプをするマレーネがずっとこちらを見ている、というのがいい。

 そして圧巻はペトラの誕生日のシーケンスで、娘や母親にまで、チンケでゲスな淫売、と罵倒し、部屋の中をメチャクチャにし始めるペトラの自失ぶりだ。その後のカーリンからの電話への対応と、プラターズ「グレート・プリテンダー」をBGMにした収束へと畳みかける演出にシビれる。マレーネは唖者のようにずっと無言だが、彼女は最後まで喋らないのか、どこかで何か一言でも喋るのか、という興味にも引っ張られるが、ラストはマレーネが締める、その見せ方も極めてカッコいい演出なのだ。

#ペトラとカーリンが映っている新聞の写真には、ファスビンダーも映っている。

(評価:★4)

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