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[コメント] 攻撃(1956/米)

オープニングロールの鮮烈な印象を裏切らない本編。それに、敵との「距離」と「位置」の関係を意識させる戦闘シーン。「広さ」が恐怖につながるという事。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この「広さ」の恐怖があるせいで、終盤にコスタ(ジャック・パランス)が隠れ家から最後に脱出を試みる場面では、敵戦車の砲撃によって舞い上がる煙が、却って視界を遮る事で安心感をもたらす。倒れる部下を背負いさえする彼が生き残るのも不自然ではない。

プレタイトルの戦闘シーンは、一見淡白でさえある、日常生活としての戦闘として始まり、それがクーニー(エディ・アルバート)の躊躇のせいで突如、無残な結果に転じた所でのオープニングロール。文字の的確な配し方による整った画面の見栄えもさる事ながら、草原の一輪の花の傍らに転がった、主なきヘルメットのショットに象徴される、「腰抜けの上官に見殺しにされる兵士達」という虚しさから全てが始まる事に、本作全体の寂しさが凝縮されている。

終盤では、見殺しにされた兵士たちの怨霊を一身にまとったかのようなコスタの形相が凄まじい事になっている。その死に顔は、何らかの言動を中断されたまま停止させられたような、情念の切断面のグロテスクさを湛えている。ウードラフ(ウィリアム・スミザーズ)が最後に、将軍に正直に全てを報告しようとする、一見すると損な行動も、コスタのあの陰惨なまでに中途的な死に顔を見てしまったとあっては、必然的とも言える。

予備知識なく観たので、終盤の戦闘シーンがまんま『プライベート・ライアン』である事には驚いたが、戦車に『ジョーズ』の鮫の如き恐ろしさを与え得たスピルバーグの演出力には改めて感心させられると同時に、視聴覚的な迫力やショックには富んでいた『プライベート・ライアン』に戦争映画としての欠けていたのは、「不条理」ではなかったか、とも思える。スピルバーグの感傷性には、そうした要素が入る余地がないのだ。

(評価:★4)

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