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[コメント] 赤い風船(1956/仏)

ブルーがかった町の風景に、風船の赤が映える。少年にとっての特別さが、視覚的に納得させられる。宙を気ままに散歩しているふうな風船の浮遊による空間性が面白い。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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大人の傘に風船を入れてもらう少年。曇り空の下に赤い風船を置くことによる、赤さの鮮烈さ。その赤さが視覚的に与える特別さと異質性に沿うように、少年にとってかけがえのない友達である風船は、他の人々にとっては、幾らか目障りな存在として扱われもする。

少年が悪ガキどもに追われて、狭い路地を疾走するシーンの空間性。揺れて、両側の壁にポンポン当たる風船の哀れさ。そして最後は、町を見下ろす高所に追い込まれることで、やはり視覚的に「あぁ、もうお終いだ」と感じさせる。風船は、いつでも空に逃げ出せるようにも思えたが、空気が抜けて萎むという、風船であるが故の限界がまた哀しい。

そこから、町中の風船が集まってくるシーンの、カラフルな奇蹟。少年が風船を一つに結び合わせるカットでは、色とりどりの透明な風船越しに見え隠れする少年と一緒に、観客も、色の夢のような空間に包まれる。

ラストは美しいと同時に、やはり哀しいものでもある。『小さな恋のメロディ』にしても『崖の上のポニョ』にしても、童話的なラストシーンというのはどうしてこうも残酷に見えるのか。無限の彼方へ飛んでいったように見える風船もいつかは萎んで落ちるが如く、子供らしい純粋性がその果てへと向かう光景は、その明るさが哀しい。この世で純粋さというものがどんな宿命を背負っているのかは、あの赤い風船の虐殺シーン(と、敢えて言おう)に見える通りなのだ。

画面そのものを白で覆った『白い馬』とは、視覚的に逆のアプローチがとられたこの映画。「白」の中から一頭の白馬を特権化する『白い馬』と、その赤さで特権化されている風船が失われた後に風船の群れが現れる本作は、「群れ」の扱いもまた対照的。物語的には異工同曲だが、演出は前作の裏返しでもあるのだ。

(評価:★4)

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