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[コメント] 緑の光線(1986/仏)

多くの人と接しながらも常に、思わず余計な事を喋ってしまい、或いは逆に沈黙してしまう人は、むしろ、自然に話を聞いてくれる一人の人だけを求めているのかも知れない。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







今回の格言――「心という心の燃える時よ来たれ」(ランボー)。

多くの時を浪費して、多くの場所と人に接しながら、孤独と倦怠に苛まれるデルフィーヌに訪れる、或る一瞬、或る一つの色、或る一人の男。失意の旅の最後、駅で出逢った一人の男に、駅は嫌い?と訊かれた彼女は「発つ時は」と答える。デルフィーヌにとって、発つ、とは、自分の居た場所に落ち着けず、失望を抱いて去る、という行為でしかなかったように思える。だが、こうした会話を少し交わした後、彼女はこの男と、発つのを延ばして、僅かな希望を抱いて、緑の光線の見える場所へ赴くのだ。

デルフィーヌが訪れる、様々な自然の景色の美しさも、それを共有する人がいない孤独で彼女を泣かせるのみ。そして最後の、一瞬だけの、薄暗がりでの濁った緑の光が最も美しい。その場面に至るまでに描かれていた失意の数々と、光が見えた瞬間のデルフィーヌの歓喜の声、これらが相俟ってこそ感じられる、映画でしか感じられない美しさ。

(評価:★4)

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