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[コメント] ショート・カッツ(1993/米)

僕らのコミュニケーションに生じるバグに対しては、害虫を駆除する薬品の空中散布という「空爆」によっては解消し難いということ。そして、
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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バグが生じようがなんだろうが、全ての人は地続きの世界の上で繋がっているということ。

レイモンド・カーヴァーの短編小説を網目状に結び合わせて群像劇に仕立てた脚本とのことで、その試み自体は興味深いのだけど、原作未読の僕としては、元ネタがどうアレンジされているのかを楽しむわけにはいかなかった。加えて、頻繁に各エピソードが交替するせいで、気持ちがあっちに飛びこっちに飛び、うまく集中して観ることも出来ず、散漫で冗長に感じられ、睡魔に襲われた。個々のエピソードや人物間の繋がりを、平面上の点と点のネットワークのように見下ろしている感覚で、映画全体が平板な印象だ。

似た類いの映画としては『マグノリア』や『バベル』があるが、この映画には前者のようなケレン味も無ければ、後者の、一丁の銃が文字通りの「引き金」となって世界中に出来事を展開していくスケール感も無く、殆ど、一つの街をアリの巣箱のように観察しているだけ。同じアルトマンの『ナッシュビル』のように、実在する街の性格を活かし、アメリカという国の或る一断面として象徴化するわけでもなく、人々の日常の喜怒哀楽を、ほんの少し高い視点から見たら何が目に映りどう感じるのかを観る映画。

別にそれが表現として低次元だとも思わないし、このドライな雰囲気を楽しめるかどうかは単に感受性の違いに過ぎないとは思うのだけど、ともかく僕には合わなかった。残念。せめて、純粋に視覚的に楽しめる画面作りが為されていれば退屈せずに済んだ筈なのだけど。オープニングのセンスの良さは特筆すべきところであったし。

最後の地震は、ただ純粋に「繋がり」や「関係」の表徴であり、それぞれの人物たちの悲喜こもごもを含め、教訓が何も無いことが教訓と言える。善も悪も無く、ただ地続きの現実を生きている、という冷厳な内在主義。エンドロールの地図はそうしたメッセージならぬメッセージを引き継いでいるのであり、そこにかぶさる歌声と、拍手、歓声もまた、「仄かな希望」だとか「皮肉な明るさ」といった意味合いを感じさせず、ただ乾いた印象だけが残る。

冒頭の、上空からの害虫駆除薬の散布もまた、言わば「天にまします父はその太陽を、悪しき者にも善き者にもその頭上に昇らせ、正しき者にも不正なる者にも等しく雨を降らせ給う」といった感じで、地震が地であるのに対して天というコントラスト、是も非も無い関係性で人々をサンドイッチ状態にした映画ということだ。ニュースキャスターが伝える「もはや我々の敵はイラクでもテロリストでもなく、害虫です」という言葉は、この映画に描かれるのが、意図せざるところで否応なくコミュニケートする人々の物語を通してのディスコミュニケーション、「我々」の内に隠れるバグであることを告げていたと言えるだろう。

そうしたテーマ性を後から振り返ってナルホドと思わないでもないけど、だからといって観ている最中に眠かった事実は変わらない。優れた内容を孕んでいようと、面白くなければ長時間画面に貼りついているこちらにとっては消耗でしかない、という主義主張には今回も変更はない。

(評価:★2)

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