[コメント] さくらん(2007/日)
少女の口や食べ方は汚いが、姿勢を崩すことはない。そこまでやると映画にならない。金魚鉢として自己言及されるこの緩やかさは、色彩という静物で動物を圧する以外に語る術を持たない映画の叫びであるがゆえに、悲恋にも構造的な弛みを及ぼしてしまう。
しかし金魚鉢の緩やかさには子宮のような温暖な甘さがある。椎名桔平の度量を捕捉して文系に弱い土屋アンナという幻想をかえって引き立てるからだ。流産に対する土屋の大仰な反応は不可解だが、保育器の前兆的な何かだろう。
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