[コメント] 贅沢な骨(2001/日)
結局、変わっていないような気がした。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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まったくタイプの違うミヤコ(麻生久美子)との関係を通して、サキコ(つぐみ)は、 結局のところ、何も変われない。能動的に何かをするまでには、至らない。
最後、骨になったミヤコを手にとって、ただ見つめているだけなのである。印象的なシーンで、つまり何も変わっていないじゃないか、と感じた。
強烈な愛の人に対して、見つめるだけであることの、煮え切らなさ。
自分だったらこう演出するだろう、と言うのを素人が苦労も知らず、グダグダと言ってしまうのは、いけないことと思いつつも、敢えて言ってしまうと、
ラストのシーンが来た時点で、サキコ(つぐみ)は、ミヤコ(麻生久美子)の骨を、口に含むと思った。 骨になってしまった愛の人を受け止めるには、それしかないだろう、と。もっと心の強い人だったら、骨を砕いてしまうだろう、とも思った。
でも、本作で、サキコは、骨を見ているだけなんですね。結局のところ、与えられるままで、自分の手を汚すことも、関わっていくこともしない。
一方、ミヤコ(麻生久美子)は、骨になることを、最後まで望んでいる節があり、サキコとの関係性の変化が起きてなお、それだけは譲らない。 厚かましく押し付けがましい愛のまま、骨になってしまう。 結局、贅沢にも愛する人を独り占めにしてしまう。 彼女もまた変わらないのである。
違うタイプの二人が関わって、やはり変わらない、というのが本作の印象。
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