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[コメント] ユビサキから世界を(2006/日)

なんて貧弱なリリック。この作品に描かれるのは「永遠」や「世界」ではなく、「エイエン」とか「セカイ」とかいう、いかにも現代っ子に媚びたアレでしかない。
林田乃丞

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 まったくもって不満であります。

 行定はアンダーグラフの「ユビサキから世界を」という楽曲に触発されてこの映画をつくったそうで。私はアンダーグラフというバンドのこともよく知らないのだけれど、「ユビサキから世界を変えましょう」という歌詞を読むに、どうやら「小さなことでもいいからまずは行動を起こしましょう」というメッセージがこめられているようで。

 だとすれば、この映画にはそんなメッセージとシンクロするファクターは一切感じられませんでした。だって、彼女たちは最初から最後まで何も行動を起こしてないんだもの。やったことといえば夜中に集まって教科書を燃やしてタバコを吸っただけ。その行動にしても成り行きでそうなっただけで、「世界を云々」なんて志でもって何かを変えてやろう壊してやろう突き抜けてやろうという具体的な試みは皆無なんです。

 つまりは彼女たちはその退屈な現実から一歩たりとも踏み出そうとしていない。この映画は集団自殺という安直なモチーフを掲げながら、その「死」とすら向き合っていない。行定は空虚な現代っ子のアレに対して「わかるよ、うん、わかる」と言うだけで、その空虚を撃とうともしないし抱擁もしない。何もしない。ただ眺め、ただ撮る。なんだそれ。いい大人が何してんだって感じです。

 そして私が、この映画が「罪」だと感じる部分が、いじめられっこの乳牛さんが主人公の手を引いて「助ける」シーンです。そしてその後の、みんな笑顔で走ってゆくシーンです。そんな簡単に許してどーすんだって。作り手が、倦怠に思い悩む若者の側に共感するのは勝手だけれど、理由もなくいじめられ続けていた彼女の痛みを理由もなく帳消しにしてしまうのは、これは脚本家の粗暴としか言いようがないと思うのです。いじめられっこからジェイソンになり、最後はマリアになってしまう乳牛さんというキャラクターの造形こそ、この作家のご都合主義の象徴と思います。少なくとも、登場人物と同年代の女子高生に見せていいもんじゃない。「誰かにヒドイコトしても、アタシだって悩んでるんだからショーガナイし、きっと解ってモラエル」なんて誤解を与えますよ、これは。

(評価:★2)

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